蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

日記というもの。マンとカフカ。そして花粉

マルセル・ライヒ・ラニツキーという故人には文学界のローマ法王という綽名がついてましたが、彼が尊敬するトーマス・マンなのですが、それでも、彼が書いたものでも、しかも大変厖大な量ですが、日記だけはいただけないと放言していたのを楽しく記憶しています。
私の日記も、やはり日記らしい日記の記述でしかない日がありますが、今日はそんな日記日です。


早朝まで起きていて、花粉の薬も咳と鼻水がでてくるのでやむなく呑み、六時ごろ寝たのでしたが、起床時には鼻の奥に痛みを感じていました。それは、やはり花粉のためであり、鼻から咳をさせられていた、その痕跡だと思いました。
午後1時の天気は日本のアルプスのようなもので、青空と黒雲、そして純白な雲の部分が同時に窓外の、もちろん上空ですが、覆っています。
雨でもって花粉を叩き落して欲しいとか祈ったりしてますが。


それにしても過負荷の(カフカと書くといつもこの文字が最初にでてくる)日記は、やはりそれそのもので、自分のために必要性から書いたものなのでしょう、意味不明の部分とか繰り返し読まないと理解できない部分がでてくる。日記文学とかはすくなくとも目指していなかったことは確かでしょう。

全ての能力が必要とされる文藝。

短編とか長編とか、執筆するときには大変な能力が要求される。そんな印象をあらたにしています。
日記は私の場合には感情の吐け口、書きなぐりという傾向が強く、自分の書いた文章も推敲することもありませんでした。そうですよね、誰に見せるでもなく書いていたのですから。ところが作品を書くということは、やはりある目的を実現化するために、表現するために効果とか、私のなかのイメージの言語化とかいろいろ試行錯誤して書いているので、まったく質が違う、次元の異なる文章世界と、いまさらながら思います。


もちろん、日記にも良いところはありますが。書いているうちにそれが掌編とか短編に変わるとか、書きたいものの片鱗が表現できてしまうとか。


文字を使った芸術だとつくづく思います。文藝作品とはよく言ったものです。


純文学コーナーでは週間Inが5になっていて嬉しい驚きです。なぜこうなってくれたのか、とにかくめでたしです。

初めてInに3という数字が。そして村長さんからのメールにどきっ、でした。

被害妄想的なところがあるのか、ムラゴンの村長さんからメールがきてほんと驚きました。わたしの書いている内容に問題でも生じて、それについての非難でもきてしまったのかと思いました。でなくて、良かった。別に変なことは書いてないと思ってますから、大丈夫と思ってますが。


それと、初めてどういうことなのかさっぱりわかりませんが、Inに3という数字がみられ嬉しい驚きです。説明を読んだことがありますが、あまり理解できなくて、別にランクは気にしてないからどうでもいいかとということで、ずっと0をそれでも見詰めていましたが。
記念日としたいぐらいです。

執筆を妨害する長谷川清志のあの名曲。卒業、ほか。

『牡蠣…』の執筆は簡単なはずだった。だが、もう覚め始めているのかモチベーションが消えかけているようだ。私の関心が薄れるのはとても早過ぎる。加速度的に消えうせてしまうようだ。
衣のついた魚の残りを食パンに挟んで食べたり、そして、景気づけというか、調子を取り戻すために長谷川きよしの『卒業』や『帰っておいで』さらに『別れのサンバ』を聞いた。何度も繰り返して聞いた。そのうちに聞こえなくなってくるはずである。眼の前に立つモニターの自分の書いた文章が再び意味をもち活性化するはずであった。
だが、いっこうにそんなことは復活しなかった。
気がついてみると私は長谷川清志の曲のメロディーと歌詞に最後まで耳を傾けていた。これでは、執筆などは再開できないはずである。

名探偵・小栗鼠(こりす)忍者

 私は本格的に、赤川次郎先生の三毛猫ホームズに平行して私自身の作ったキャラクター、つまり『小栗鼠忍者』という作品集を書こうとしたことがある。


 ただ、当時はワープロはあったかもしれないが私自身は持ってなくてパソコンも一般に普及してはいなかったと思う。それで手書きで書いては自分の酷い文字を目で拾って推敲とうことになるのであったが、とても、この思いつきにしか過ぎない物を纏めてひとつの作品に仕上げようと言うことは、わたしの能力では限界だとしか思えなかった。それで未完成が二つほど書き散らしてどこかに今でも放置されているという状態である。


 かなり以前からわたしは赤い栗鼠、つまり北栗鼠とか蝦夷栗鼠といわれる栗鼠が好きだった。とても可愛らしいという印象はいまでも同じである。
 シマリスのほうがもっと上品で素敵なところがあり、こちらは起きて寝ぼけているようなとぼけた感じが鄙びたようであるが。欧州から日本の北海道まで生息地が広がっているという事実が私にはとても嬉しい。午後 3:57:10