蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

太宰治の作品『女生徒』の80%はある女性ファンの日記

掲題のような太宰治が行ったようなことが、行われる可能性もあるので、去年からこの日記村の存在は知ってましたが、参加できませんでした。
斜陽だって情交のあった太田静子の書いたものを使っていると読んだことがあります。才能だけでなくそこに狡猾さが備わっているような人が他人の書いたものを読んだ場合、磨けば使えると思える原石的な日記が見出せ、利用できてしまうでしょう。
そんなことを心配してこういう公表を避けていたようなところが私にはありました。
もちろん考えたら馬鹿馬鹿しいことに違いないでしょう。でも、万が一にも利用されてしまったらという猜疑は、日記という形で自分の心の内奥にあるものを吐露したいという者にとってはちょっと深刻なものです。
それと、自分の近くにいる人たちにこういう日記をつけていることを発見されてしまいはしないかという虞れもあります。
こういう記述は日記を公表される人にとっては珍しくも無い躊躇いであるかとは思いますが。

ヨーロッパと日本を繋ぐ地域に生息する蝦夷リスの分布図

小さなロゴマークではどんな画像なのかご覧になれないと思いますので、オリジナル大の画像を立ち上げてみました。

家の外の気温が-8,5度、室内は13,5度です。

掲題の気温は早朝6時ごろの外気温でした。
ここで、変だなと読む方が思われるのはなぜ室内気温がこんなに低いのかということかと思われます。
それは、一種の団地の一番低いところに居を構えているので、しかも家賃が550ユーロと高く、それに加算される光熱費、水道、ガスなどを押さえることによってしか生活費を抑えることができないという事情からなのです。
そこにかてて加えて民営の健康保険にいれられてしまっているので、それが去年から500ユーロではなく、350ほどに下げたはずなのに、保険の担当員がミスしているせいなのかずっと500ユーロを銀行口座から自動的に抜き取られているという状態が続いています。
一言で言って、酷い話です。


そんな理由からエキストラで加算される額を下げることで肉体的に頑張らなければならないという結論に至っているのです。


すぐ下は地下室でもちろん、床は冷たい。私の住居の暖房の熱を上げると、首から上が暖かいだけで、座ってパソコンに向かっているとやはり外が寒いだけに、暖房をいれているにもかかわらず寒いのです。わたしは上の人のために暖房を入れてあげているだけなのかというちょっとした悔しさが残るので、やむなく、いろいろなこういう状況から暖房を抑えるということになってしまっています。


かなり、厚着をして部屋のなかにいるという、19世紀のドイツ人たちのような服装をしてサヴァイバルしてます。

今日からネット日記をスタートします。


 これまでにも実は日記をつけてきました。


 最近、もしわたしが倒れた場合、入院してそのまま果ててしまった場合に、これまでパソコンに書いてきたり、日記帳に書いてきたものは大量収集のゴミとして処理されてしまうのだなと思って、こちらを利用させてもらおうという顛末になりました。


 姪にこれまでパソコンに書いてきたものだけでもメールで送って、誰も見ないかもしれない、日記を保管してもらおうかなと思ってましたが、彼女にはなにも言わずに今日に至っております。彼女も夫をもち母になりましたので、遠隔の地にいる伯父の貧乏日記などどこかに保管してもらうような願いなどはいえなくなった次第です。
 考えれば、わたしが私自身に語っていたのが私の日記であって、公開する気持ちはやはり生前はなかったといえます。死後はどうでもいいという気持ちもありますが、ひどい場合には上記のように処理されてしまう可能性が高くなって着てしまっています。そう思ったらこのやり方を利用させていただくということにならざるをえないと思いました。