蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

『オデッセイ』別名・火星の人を視聴

短編『17時…』はある程度捗ってくれた。リアリズムを徹底させて貫徹仕様とおもっている。


『オデッセイ』別名・火星の人を視聴した。大変面白いところは自分でジャガイモを栽培したり、水を作り出すことに成功するあのへんの知恵であった。もちろん、地球と連絡を取るというのも凄いことではあるが。
やはり私たち日本人とちがうなあとおもったのは、自分のことが隊員に伝えられていないことに悔しがるし、自分を救ってもらいたいという態度であった。わたしなんかだったら、私のことは諦めてください。考えなくて良いですと引っ込んでしまうのですが。


それにしても隊員たちが若いのは、IT時代なのだからそれでも良いかもしれませんが、自分の都合とかを主張する人が一人もいないところが甘いとおもいました。そんな善人ばかりでもないし、また、善人たちの集まりであってもやはりリスクがあれば、猛反対するものもでてきて、葛藤がなければおかしい。


後味はあまりすっきりしたものではなかった。
話の展開はやはり救うという話になるので、アポロ13号に似てしまっている。それでも評価は高いので同工異曲でも良いという結論になるのでしょう。

警察官も見てみぬ不利。バーベキューの許可されていない場所で

人の憩うべき公園の芝生の上でグリルをして楽しむ人々。ほとんどはイスラム系の人々。警察官も多勢に無勢で取締りをろくにしていない。これが現実というものです。
炙られて枯れて行く潅木低木、そのほかの樹木はあらたに国民の税金をつかって植林されることになります。
どうでもいい人が殆ど……

命の短し桜の美を、せめて写真に

こちらは野生のライラック

長塚節の家

二日ほど前にLevelBookさんの旅の記憶で紹介された、長塚節の家の訪問記を拝読させて頂きました。ただ、感心するばかりでした。
茨城県から千葉のほうに引越しということが決まった時に、地元の小中学校、そして当時は水海道一高といわれたいた常総市に思春期の時期を過ごしていたのでしたが、行ってみようと思い立って自転車をこいで行ったのでした。
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高校三年生のときに、わたしも長塚節の家を訪ねてます。そのときには節の姪とお
っしゃる方があらわれて、たったひとりの高校生のためにいろいろ話をしてくださ
って大変恐縮したものでした。
節も美男子ですが、彼女も美しく気品のある人でした。子供のときからすでに文学
作品を節が暗誦できたとか、そういう説明をされた記憶がありますが、聞いている
高校生のわたしはやっぱりこういう人は違うんだという思いに沈み、感銘とともに
物凄いジェラシーを覚えたことがあります。
石下町のほうでは節の旅装姿がブロンズになっているのですね。Uploie adを本
当に有難う御座います。
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コメントを投稿しようとしながら技術的なことが苦手であきらめ、自分のこの場所に書いているという変なことをすることになりました。

やっと八重桜が咲き出した

プラタナスの新緑も市街に息吹をそえている