蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

寿司の絵の茶碗


寿司の茶碗を求めて。
昨日短い仕事の終わったあとで、近くに日本人がオーナーの寿司バーが目にはいり、この茶碗を撮影したくて、店に入って行きました。
気が弱いほうなので、何か注文してそしてこの茶碗を撮影しようとしたのでした。もちろん、この握りが多く描いてある茶碗でお茶がでる保障はありません。でも、店のお客様になってしまえば、ちょっとそちらにある茶碗を撮らせてとお願いすることは可能だとおもったのです。


ところが、テーブルにおかれた茶碗も、その熱い湯沸かし器のあるテーブルの下に並ぶ茶碗のなかにも、全く存在しませんでした。もちろん、外から入っていって、そのウエィトレスの動いているお茶とレジのあるほうにいくのは不自然だし、怪しく思われるので、最初に確認するべきであっと思っても、そんなことは出来ないことでした。
やむなく、注文して秋刀魚蒸篭がないのでしゃけの照り焼き蒸篭とかいうものを食べて、ちょっと落胆して店をあとにしました。


駅の近くにベトナム人が経営するアジア食品店があるので、そこに値下げしているものでもないかなと期待して入り、Hokkaidoという名前のあられがあったのでそれだけを買って帰宅するつもりでいたところ、レジの近くで陶器類や安物石鹸とかビニール袋に入った米が目に入り、そちらにほぼ無意識に進んでいって、この寿司と太く書いた茶碗を発見できたのでした。


翌日の今日になって、


撮影してみました。