蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

少年時代の密かな憧れを蘇らせるラ・ブーム

仕事の中身に比べて収入の少ない午前だった。それが二回もあったが、明日からは再び約1週間も無収入となる。
 しかし、仕事の終わって失業期間が再び訪れるのをどこか今は楽しみにしているようなところが私にあった。昨日なども案が浮かび、やがて話が勝手に発展して行き、メモだけした。そのまま執筆というところまでは仕事のために適度に睡眠をとらなければならなず、長椅子に横になった。それでも頭の中ではストーリーがさらに展開してやまなかった。
 そしていよいよ午後になり帰宅して自由になった。が、朝が早かったのであるものを齧ってなんとなくテレビのスイッチをいれたら、いつのまにか寝入っていた。
 書きたいことがあるのに、興味ふかいテレビに視覚と聴覚を奪われ、注意を絡め撮られてしまい、どうにもならなかった。そしてまたうつらうつらしていた。
 夜八時過ぎになってソフィー・マルソー主演のラ・ブームをなんとなく視聴した。彼女の顔が小中学校を通して憧れていた女の子に似ているので、つい魅了されてしまうのだった。観ながらかなわなかった気持ちに苛まれている始末であった。
 アラン・フールニエに、読んだ当時、よく感じられなかった作品があったが、それをまた読めたらなあとおもった。

クリエイティーヴな活動の一時停止

仕事があるのは助かる。でも、この仕事の期間中は創作、または文学に対する知的活動は一時的に停止状態になるし、それどころか大事なものが仕事の濃度と時日の長さに比例して、遠のくというよりは剥がれていくような気がする。
レポートも書かなければならないし、請求書も一種の消費税も書かなければならない。もちろん多くの方々が同じ苦悩を味わっていらっしゃることで、いまさら泣き言をいうなと自分を戒めてますが。
些細な有り触れたことと分かっていても、自分のことなので最近の坦懐を書きなぐってみたくなります。それが良く耐えてくれる日記という同伴者の役割ですね。

マルクス生誕200年

カール・マルクス生誕200年。1818年の5月5日が誕生日ということで彼の伝記の映画化やドキュメンタリーがテレビでは放映されている。
哲学としては悪くない考え方であるという。しかし現実には使えない思考ということも言われていて、それはもう歴史的に実証されたとわたしは看做しています。実はほとんど関心もない存在です。欧州ではそれどころか、わたしのなかでのイメージも同じで残酷な強権国家を作った原因と思っています。もちろん、マルクスがでる資本主義のかなり酷い時期があったわけですし、いまでもそういう19世紀の欧州の世界を地でやっている世界が存在していますが。


しかしわたしにとっては短過ぎて拒否反応しか導き出さない名前になります。


かに今日ほど、浮浪者が路頭に迷い、例えばドイツでは86万人がいて、社会保障を受けている人の数が600万人にも及んでいる状態をみても取り上げても考え直されても当然というレポートもあります。社会主義世界の実態をみてきた者にとっては、どうしても生理的な拒否反応、アレルギーが引き起こされてしまうのですが。

恋のゆくえ-タイトルの重要さ

ファビュラス・ベイカー・ボーイズThe Fabulous Baker Boysをはじめて見たのは、初めて日本をでてから帰国する最初の飛行機のなかのことだった。英語というか米語でもあるし、細かいニュアンスが良く分からなかったことだけを覚えている。眠り込んだこともあり、話の展開もさっぱりわからなくて、ただ私とは別世界の話だという印象だけが残った。
 あれから、もう6,7度はテレビで視聴している。今晩も遅い夜に、そして深夜に再放送がいまされている。
 自営業、フリーランサーの運命をみているようで今では大いに雰囲気も、あの深刻さも理解できるようになった。
 恋のゆくえ、それが日本語のタイトルですが、良いタイトルだと思った。相応しい題名だとおもった。このタイトルのお蔭でこの映画がさらに胸に残るとおもった。タイトルは重要だなとつくづくおもう。

『牡蠣…』初稿完成。六日前の『十七時…』の初稿を見て落胆。

『牡蠣…』の初稿、草稿が一応完成したのが昨日でした。さっそくまだやる気と関心のあるうちに『十七時…』のほうに手を大幅に加えて、というか削除してこちらはこちらで纏めようとしました。


 しかし、私の中ではすでに六日前に完成した、といってもやはり初稿なのですが、読み直し始めてすぐに落胆するものを覚えていました。それどころか自分の主観的な文章に読む前から呆然とするような、力がでてこない感覚を覚えてしまいました。ただ、最後の部分を思い出して、まだ捨てたものではないと自分を励ましたという状態ですが。


 いずれにしても最初のモニターに移ったページで放置という結果です。こういう感情にはもちろん、迫ってきている仕事に精神的な膂力がざっくり分けられて引っ張っていかれているということも理由です。もちろん、そんなときに初稿に推敲を加えていくという知的な作業をしていけばいいじゃないかと思い直しますが。そのために粗筋だけで安心せずに、初稿まで頑張って執筆していくということを自分に命じているわけです。しかも、私の経歴としては成功をその点では収めている。


 ・・・自己満足ですが。これまではそれさえもなかった。


外気温は20度。室内は19度。快晴。ただし、風が冷たいかなぁ