蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

エマニュエル・ベアールのヌードに驚愕と恐怖


フランスの女性は別にそれほど際立って美しいとは思わなくなったのは、ヨーロッパに来てすぐの発見でした。美女があまりいないからちょっと綺麗だとスターになれちゃうんじゃないのかなと猜疑したほどでした。

上記の写真は、わたしの第一印象は、裸身死体でした。うっと恐怖と違和感を覚えたものでした。


ベアールも唇が尖って膨らんでいて、不自然で整形なのかなと思ってました。文庫の古本でフランスの女というタイトルのそれを買い、いつか読もうと思ってましたが、ヒロインが彼女で写真がついていて、いくつもの映画の情景が差し込まれていたのでしたが、この日本語に翻訳された古文庫を手にしてみているうちに、そこに日本人であるわたしたちの憧れが秘められているのをすごく感じてしまいました。
ヨーロッパの色の白い美女の姿がそこにあり、そこに到底近づきがたい美しさが彼女をもってそこには象徴されていたという感じでした。
その写真をみながらわたしにも一般男性のヨーロッパ女性への恋慕がじわじわと湧き上がってくるのが自覚できた感じでした。
その彼女がヌードで出演する、およそ彼女が27,8歳ごろで、これから肉体的な外見が崩れ始めるからとでも言うことなのか、そんな映画が無料でユーチューブで見られて驚かされたのでした。
 つまりイメージをぶち壊されたということなのかもしれません。わたしのなかで、このちっぽけな文学青年の脆い世界が崩壊したという結果です。まな板でぴちゃぴちゃ暴れて動く魚のようだった。裸が普通の状態であった。もちろん、それはそれで感激する人も数多くいるのだと思いますが……文学というのはやはりどこか陰気な、極秘な部分が書き表されている世界ではないかと思いました。……だからますます人生の行動人ではなくなり脇に下がって、あるいは忘れられて観察し、眺めているという立場で終わるのかもしれませんが・・・・・・・・・・