蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

全ての能力が必要とされる文藝。

短編とか長編とか、執筆するときには大変な能力が要求される。そんな印象をあらたにしています。
日記は私の場合には感情の吐け口、書きなぐりという傾向が強く、自分の書いた文章も推敲することもありませんでした。そうですよね、誰に見せるでもなく書いていたのですから。ところが作品を書くということは、やはりある目的を実現化するために、表現するために効果とか、私のなかのイメージの言語化とかいろいろ試行錯誤して書いているので、まったく質が違う、次元の異なる文章世界と、いまさらながら思います。


もちろん、日記にも良いところはありますが。書いているうちにそれが掌編とか短編に変わるとか、書きたいものの片鱗が表現できてしまうとか。


文字を使った芸術だとつくづく思います。文藝作品とはよく言ったものです。


純文学コーナーでは週間Inが5になっていて嬉しい驚きです。なぜこうなってくれたのか、とにかくめでたしです。