蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

西村賢太さん式?

 もう二ヶ月も前のことになる。時の経つのは早いもの。西村賢太さんの芥川賞受賞のときの記者会見、そしてやすくはないお礼はすることになったが、読みたかったので彼の作品を文庫本で送ってもらい、それこそ貪るように読んだことがあった。DVは酷いが純文学なのに、楽しく面白く(と言ったら問題もあるかと思いますが)読ませてもらった。彼のような中卒で日雇い労働を強いられるという人生を歩んできた人をみると、自分なんかは遥かに恵まれた少年時代を過ごした者と驚かされ呆然としたものだった。
 そんな、彼が金が入って好きなものを食べ、飲み、女を買うということに、わたしいは
 「いいんじゃないですか、これまで彼は苦労を心身ともにしてきたんですから」という思いだった。でも、彼が亡くなってみると、暴飲暴食などを気をつけて揚げる人がいなかったのか、また、もう少し自分でも健康に気をつけて欲しかったなととても残念に思いました。
 なんか、最初から最後までリアルタイムで間接的ではもちろんありますが、とても人事他人ごととは思えない感慨がこみあげるのを感じています。よく、石原慎太郎のあとをおうようにして亡くなったとか書いているジャーナリストもいるようですが、それはそれで自由に書いていてもわたしとしては意義もなにもないです。それぞれの悲しみかたがあると思ううから。
 54歳か、まいったな、早すぎるなと悲しいおもいです。もっと人生を楽しませてあげても良かったじゃないか神様と恨みっぽい気持ちにもなります。