蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

お前の寿命は今年、遅くとも来年中で終了だ。


そんなことを神が私に言っているようだ。


 血管を広げる手術を三度もしてステントが三つも入っている。そして意識を失ってそのまま死んでしまわないように心臓のペースメーカーの手術も行われた。五月から七月まで入院していたのが今年のわたしにとっての大きな出来事だった。
 退院して4ヶ月も経つのに、散歩は相変わらずゆっくりとしかできない。足腰の筋肉が消滅していることが大きく関係しているのだろう。


 そしてすでに10日間以上もの期間、ベットに横になると呼吸が苦しくなってきた。仰向けに寝ることは不可能なことはもちろん、横臥して寝入ろうとしても呼吸困難を感じる。
 すでに5,6日前には足が浮腫んでしまい靴が履けなくなったという経験もしたし、靴下のゴムあとも足首に深く残り始めた。
 私の人生は終わりなのか?そんなことをちょっと思った。
 私としてはまだまだ遣り残していることがたくさんあって、死ぬなんて言う事は想像もできないことだし、そんなことは自分に許されないことだ。
 だが、神、あるいは死神はわたしに関しては違う予定を組んでいるらしく、意外とマジかに死の気配を今は感じるようになってきてしまっている。
 それでも、わたしは死ねない。重ねて言いますがやり遂げなければならないことがまだまだのこっているから。私には私の予定がある。

藤沢清造の根津権現裏が朗読されている





朗読BGM 藤沢清造『根津権現裏』(全部続けて聞く!)『前編一〜二十まで』 幻の私小説作家による代表作


この根津権現裏の文庫本を日本から取り寄せ半分強読んで、それから放置したままになっている。西村賢太だって、23歳のときに始めて読んだときにはぴんと来なかったと話もし随筆に書きもしている。わたしがまさにその反応なのだろうと思っている。
でも、それが朗読されているのを発見し、この朗読者は西村賢太まではいかなくとも、藤沢清造にとっては大きな後援者といえるだろうと思った。
 朗読の傾聴がさきになってしまうかもしれないが、わたしもとにかくこの本を読破はしたい。

午前中に歯医者に行く日 Vol.3

歯医者ということで年齢は40ぐらいかなと私は思った。その割には若いかもしれないと思った。なにも訊ねなければなにも応えは戻ってこない。それで南米風のアシスタントの女性に
「若く見えますよね」
 と良いながら女医の居た辺りをくるくる指を回して指して言ってみた。すると彼女はすぐに囁き声ではあったが30歳なんですよとばらしてくれた。30だとしたら逆に老けていると思いわたしは驚かされた。結婚していて子供もいるということだった。



 今日は雨の降る可能性があった。そのために折りたたみ式の黒い傘を私は所持していた。傘の柄には私と妻の写真のキーホルダーが店のものとは違うことをすぐに証明するためにつけてある。それに気がついた女医は、まずわたしの許可をとり、それから写真を見つめて、「これはあなた?」と訊ねてくれた。わたしは頷き○○年前と応えた。「綺麗なカップル」と褒めてくれた。が、有難うと応えるべきだったが、妻は十年前に亡くなってしまったとわたしは答え得たただけだった。
 
 スーパーのエデカで偶然見つけた韓国製のお握りを帰宅して四つすぐに平らげてしまった。最初に食べたときには美味しいじゃないかと思ったものだったが、その後何度買って食べてもどうもぐちゃぐちゃしているし、美味しいとは思わなくなった。炭水化物の塊だから、そしてわたしは自制できない者だから、それでいいと思った。もう値下げしていても買って食べない。あればあれだけ食べてしまうから。この言葉は厳しい母がよくわたしを罵って言った言葉だった。

午前中に歯医者に行く日 Vol.2

マルチパンのような甘いものは糖尿病らしき私は食べたくもなかったが、あの彼女でなければあげたいとも思わなかった。来週またクリスマス前に来ることになるがそのときにまた運を試すしかないだろうと思った。今日は持ち帰りにしようと思った。
 すると、あの魅力的な小柄な、目の綺麗な女医が診察室に入ってきた。やっぱりあの頑固な老人のせいで時間をとられていて、そのあとで私のところに来てくれたのだということがこれで分かった。それにしてもこの歯医者についてわたしは何も知らない。一体何人医者がいて、何人がアシスタントなのか知らない。Familienbetriebのはずなので、家族経営なので夫婦の二人、その叔母とか息子とかが歯医者として診療にあたっているものだろうと漠然と考えていて、この魅力的な女性も娘かなにかだろうぐらいにしか考えては居なかった。もしオーナーだとしたら若すぎる。


 彼女と二人っきりになったときにわたしは「イッヒ・ハーべ・ズィ・フェアミッスト」と言っていた。日本語では自分で言ったドイツ語をどう訳したら良いのだろうとちょっと考えさせられる。
 「あなたに遭いたかった」
 「あなたがいなかったので寂しかった」
 そんな意味になってしまうだろうか。日本語に置き換えて吟味してないのでそのままドイツ語で通して済ましてしまっている自分にあらためて気がつく。
 たぶん、ドイツ語ではこんなにドラマチックな日本語の意味にはならないと思う。もっと軽く口にしていると思った。
 彼女は
 「ダス・グラウベ・イヒ」
 と軽く応えた。つまり「そう信じるわ」もしくは「そう思うわ」と言うような雰囲気の囁き声だった。
 わたしは、おそらく幾人もの患者がわたしと同じような言葉を彼女にかけているのに違いないのだと思った。こんな言葉はいわれなれているのに違いないのだと思った。
 気持ちのうえで間隙ができてしまうのを恐れて、わたしはすぐに「ちょっと持ってきたものがある」
 といって、ビニール袋からマルチパンを取り出して「美しいし淑女へ」と日本語だったら絶対に言えないような言葉をドイツ語で言って差し出した。彼女はここでもこんな風に称えられるのに不自由してないのか、普通に、
「ともだちがリューベックにいて……」一緒に食べたのか、貰うことが多いのか、語尾は彼女の反応に落胆もしていたのだろう、覚えていない。聞こえてもいなかった。
 でも、貰ってくれたのが嬉しかった。彼女だけに上げた積もりだったが、あとで他のアシスタントの女性にも感謝されたので、みんなで分けて食べることをしってまた落胆させられた。
 治療中は常に目を粒ってなにかが誤って落ちてきた場合に瞼で目を守る気持ちだったが、今日はたまに私の上に盛り上がっている彼女の乳房、その奥の睫毛の長い濃い二重の瞳などを盗み見ていた。

午前中に歯医者に行く日

おかしなもので、歯医者に行かなければならない、やりたくないことをしなくてはいけないということになったとき、初めて自分の時間が貴重なものに感じられてきて、これまで書いて放置してしまっていた作品のひとつ仮題『生と死』としておこう、を再び読み直すことにした。長い時間放っておいた感じなので内容を再びチェックし泣ければならなくなったのだ。
 でも、読み直しているうちに、あちらこちらの文章がすんなり頭にはいらなかったりするのがみつかり、結局推敲ということができた。推敲も重要な創作の一部だ。

盗み撮りした写真なので、モニターを真剣に見つめていて厳格なウーマンになってしまってますが、手術、診察室ではもっともっと優しく愛さえ感じてしまう雰囲気が彼女にはあります。



 時間が経つのは早く、5時45分に目が覚めて読み始めてからすでに8時半にもなってしまっていた。歯医者には10時15分にはいかなければならない。遅刻を嫌悪するわたしは45分も前に歯医者につきそうなほど早く家をでた。時間が余りすぎたので、リューベックの有名なニーダーエッがーのマルチパンを買って持っていくことにした。この時期にはそんなプレゼントが親切ということになるから。もちろん、妻に去られてからほぼ十年間、おまけに冬ソナも視聴して恋愛感情がちょっと活性化した私の心はちょっと女性の歯医者に魅力を覚えてしまっていた。彼女に上がるつもりだった。



 待合室で、約30分待たされた。まだ全然良いほうだ。市内の歯医者では普通に1時間も毎回待たされたものだった。しかも国民保険ではなく民間の保険会社の高い料金を払っているのにまったく優遇などはされていない。噂とはまったく違う待遇をうけてきていたから。
 わたしよりあとに入ってきた太った老人がいた。彼は十時半とカウンターで主張していた。人造ガラスの背後の窓口の女性は、今日出なく明日の十時半になってますがと応えていた。すると老人は、そのことだが、電話をしていて交渉していたはずだといきまいている。交渉しても通らなかったらしかった。でも、そいつは頑固にそのことを述べて椅子に座り続け、窓口の若い女性も失礼な態度とか反論する姿勢は見せず、受け入れてしまったようだった。
 ということはどうなるかと私は思ったが、私の座る隣を白いジーンズのようなものを履いた見たことのある小柄で目の綺麗で肌をちょっと焼いたマスクをした女医がハローと良いながら通り過ぎていった。
 奥の部屋に消えていった。するとまもなくその部屋からこの老人を招く赤と青のアシスタントのような背の高い女性がいて、わたしを超えてこの頑固な、予約もまともにとってない老人が治療に入ってしまった。
 こんなことが通っちゃうんだと私は驚かされた。プライベート経済だからこんな客も冷たくあしらうわけにはいかないということかと思った。
 わたしはMp3で最近感激した歌声のビリーバンバンを聞きながら呼ばれるのをまった。
 すると呼ばれたのは確か、背後の見慣れた部屋、きょうで三回目の診察と治療だから慣れているといえると思えるが、そのアシスタントと思えた赤と青いスラックスの小柄な南米出身かなと思える顔と肌の女性が私が座り口を開けることを要求し、つまり治療っぽいことが始まってしまったんだった。
 同じ医者がずっと担当するのではなく、替わるのかとわたしはちょっとがっかりした。