蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

午前中に歯医者に行く日 Vol.2

マルチパンのような甘いものは糖尿病らしき私は食べたくもなかったが、あの彼女でなければあげたいとも思わなかった。来週またクリスマス前に来ることになるがそのときにまた運を試すしかないだろうと思った。今日は持ち帰りにしようと思った。
 すると、あの魅力的な小柄な、目の綺麗な女医が診察室に入ってきた。やっぱりあの頑固な老人のせいで時間をとられていて、そのあとで私のところに来てくれたのだということがこれで分かった。それにしてもこの歯医者についてわたしは何も知らない。一体何人医者がいて、何人がアシスタントなのか知らない。Familienbetriebのはずなので、家族経営なので夫婦の二人、その叔母とか息子とかが歯医者として診療にあたっているものだろうと漠然と考えていて、この魅力的な女性も娘かなにかだろうぐらいにしか考えては居なかった。もしオーナーだとしたら若すぎる。


 彼女と二人っきりになったときにわたしは「イッヒ・ハーべ・ズィ・フェアミッスト」と言っていた。日本語では自分で言ったドイツ語をどう訳したら良いのだろうとちょっと考えさせられる。
 「あなたに遭いたかった」
 「あなたがいなかったので寂しかった」
 そんな意味になってしまうだろうか。日本語に置き換えて吟味してないのでそのままドイツ語で通して済ましてしまっている自分にあらためて気がつく。
 たぶん、ドイツ語ではこんなにドラマチックな日本語の意味にはならないと思う。もっと軽く口にしていると思った。
 彼女は
 「ダス・グラウベ・イヒ」
 と軽く応えた。つまり「そう信じるわ」もしくは「そう思うわ」と言うような雰囲気の囁き声だった。
 わたしは、おそらく幾人もの患者がわたしと同じような言葉を彼女にかけているのに違いないのだと思った。こんな言葉はいわれなれているのに違いないのだと思った。
 気持ちのうえで間隙ができてしまうのを恐れて、わたしはすぐに「ちょっと持ってきたものがある」
 といって、ビニール袋からマルチパンを取り出して「美しいし淑女へ」と日本語だったら絶対に言えないような言葉をドイツ語で言って差し出した。彼女はここでもこんな風に称えられるのに不自由してないのか、普通に、
「ともだちがリューベックにいて……」一緒に食べたのか、貰うことが多いのか、語尾は彼女の反応に落胆もしていたのだろう、覚えていない。聞こえてもいなかった。
 でも、貰ってくれたのが嬉しかった。彼女だけに上げた積もりだったが、あとで他のアシスタントの女性にも感謝されたので、みんなで分けて食べることをしってまた落胆させられた。
 治療中は常に目を粒ってなにかが誤って落ちてきた場合に瞼で目を守る気持ちだったが、今日はたまに私の上に盛り上がっている彼女の乳房、その奥の睫毛の長い濃い二重の瞳などを盗み見ていた。