蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

もう埋もれてしまったわたしのYT『漫画を描く少年』

 YTで『漫画を描く少年   副題ラヴレター 岩本玲子に捧ぐ』を立ち上げたあとで判明したこと。
 無名人間の作ったもの、書いたものがいかに現代の忙しい、またマスメディアの溢れている世界では省みられないか、はっきりと示された気分ですね。もちろんフェイスブックとかで拡げてみようとしていないのであるから自業自得でもありますが。もしかしたら私の死後にちょっとは知られるようにでもなるだろうかと今は妄想中です。その死がもっとあとになって欲しいと思ってもいますが。
 怠惰な癖に書きたいことはまだまだ残り過ぎてますので。もちろん、怠惰になってしまう理由には生きるための仕事をしなくちゃいけないという、目的から私を逸らしてしまう障害物がごろごろ転がっているためもありますが。でも、これは当たり前のことですね。少年期にデビューできる天才と違って。このときに脳裏によぎる天才たちの顔にはランボーとかラディゲと言ったフランス人たちがいます。ゲーテもそうなのでしょうけれども、ちょっとイメージがずれるかな・・・・

ひとりの視聴者のためだけでも続けて行きたい

YTのほうは細かい、外出して動き回っている割には仕事の支払われる時間数の短いものがいくつか続いて、数日間ご無沙汰になってしまっている。
こういう私の作品を自分で朗読するというようなものは誰も視聴に来てはくれないと思えたが、YTのほうを見ると一人だけ登録者が増えていた。


その登録者がどんな人であるか、またほかにどんなYTを登録しているのか、みることができた。とても便利な世界、現在です。この人は日本語の学習ということに興味があるようだった。それで、登録してくれたようだった。
この一人の人のためだけにも続けていこうと思った。欲を言うならばもっと朗読が上手くならなければならないと思う。作り直しても良いかなとも考えている。



漫画を描く少年 10 限りなく接近した二人 ― 夏の課外授業

言い訳は、反抗的であり、生意気という結果になる

一昨日、引き受けなければ不味いとおもわれる仕事が二つあった。飛行場に行く仕事だった。ひとつはスムーズに終わった。しかし、もうひとつのほうは予定より1時間半も遅れて到着した。しかも荷物の車の部分が破損しているので、そのために30分近く空港ですごすことにもなった。結局、午後六時に到着予定の便の仕事が終了はTCと翌日のレストランの予約もかねてホテル到着後も歩き回ったので、22時になってしまっていた。


翌日このグループは凄まじく、翌々日にはこの都市からDDで昼食をとり、プラハにまで行くということであった。さらに次の日にはプラハで三時間フリータイムを過ごし、同日にウィーンまで行ってしまうという凄まじさである。


食事のことを一人のかたに聞かれ、前日TCと歩き回って教えてあげたレストランのことを話すと、つまり中華もイタリアもドイツも近くにあることを話し始めると、いきないその傍にいた婦人が怒りをもった声で、ドイツに着たんだからドイツ料理じゃなくちゃ、とわたしの説明を横から一刀両断した。いいわけとかわたしはせずにちょっとよけるように体を後退させた感じだった。
こういうことはしょっちゅう発生する。でも、ここでわたしがこういうふうに話し出したのか、怒声を浴びせてきた中年女性に言い訳でもしようものなら、それはさらに反抗的であるとか、攻撃を受けるのが関の山なのでなにも言えない。ただ、ドイツレストランに関して絞って料理の種類とか話して心理的に危ないところを越えるだけであった。

半分以上作り上げたYT。視聴者はほぼゼロ

『漫…』を半分以上、「再び、男女共学クラス」までをYTにして立ち上げた。五月の半ばからはじめたことであるが、視聴者は思いのほかとても少ない。無名な者の文章など関心のあるほど暇な人たちは一言で言って存在しないのだろう。
一方、あまり読まれなくても良いと思ったりもする。私の中でまだ整理ができていないのである。
一番読まれたくない、こういうことをしていることを知られたくない人たちは、身近にいる人たちなのである。日本にいる方々に読んでもらえることは何も秘し隠すこともなく嬉しいことなのですが。
この一仕事、自作品の推敲はちょっと楽しい気持ち、面倒を見てあげるという気持ちにもなっているけれども。

仕事でストップさせられ、冷えた創作用のエンジン。

仕事が14日の夕方に2回あり、そのために6時間は時間が消えた。しかし、支払われる時間は4時間であった。
そして昨日の15日は1日の仕事が入っていたが、午後のP街の事務所が相変わらずへまをやってくれて、お蔭でその街の出発が遅くなった。というか、ほぼ通常通りになってしまった。あれだけ早めにすべてすすめて1時間はPをDに向かってでられるように進めていったのが水の泡にP街のS宮殿でなってしまった。
その原因は簡単なP街の事務所のアサイナーの執念深い先入観であった。それについて説明を書かなければならないと思っている。が、わたしがもっているなかで一番優秀なSonyのノートの動きが鈍くなってしまって、整理整頓機能を怠っていて酷使してしまった結果だと思う。
やむなく、yTで見た豆腐ステーキというのをやってみた。問題は迂闊なことにわたしが買って冷蔵庫においていたものは極柔ごくやわな豆腐であり、すぐに取り出すときに崩れてしまった。
食べるときにはテレビをつけてしまうが、このときにはダウンタウンヒーローズをDvDのフェストプラッテから選んで視聴した。ソースには酒は手元にないので、10年間以上も蓋はあけたままで飲んでいなくて、すてるつもりであったクリスマス用のホットワインをいれた。レシピにはそうあったからそうした。酢もいれた。
そのためか、炭水化物などは殆ど使ってないのに、ころっと寝入ってしまった。といっても12,3分であったと思う。


仕事が二日間入ったことで、まだアフターケアーをしなければ気が済まずその後日の今日も仕事にむかっているようなものであるが、ここ5,6日間はYTをつくっていたので、また創作の必要性と焦燥感に襲われはじめている。


YTつくりは担当して管理するだけである。大事なことはその元になった創作をいくつもやり続けることなのだが・・・・わかっていても、それだけやるという訳にも行かない。こんなときに秘書が必要なのだろうか。YTの作り方を教えてあげたら、あとは全部報酬をはらうことになるがやってもらうということになるのだろう。だが、第一に報酬はだせないから、愚痴を言いながら、仕事というワンクッションがおかれたせいでモチベーションがストップをかけられて、再びエンジンがかかるようにしなければ、努力しなければならないのであるが、とにかくつづけなければと思う。
仕事がある場合に、森村精一が言うように、エンジンが冷えないように毎日はんぺらでも書くというのは、不可能にちかい。
冷えたエンジンを再び再燃させる工夫が必要になる。かかったら、ひとりでに回転してくれるが・・・・