蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

太宰治の作品『女生徒』の80%はある女性ファンの日記

掲題のような太宰治が行ったようなことが、行われる可能性もあるので、去年からこの日記村の存在は知ってましたが、参加できませんでした。
斜陽だって情交のあった太田静子の書いたものを使っていると読んだことがあります。才能だけでなくそこに狡猾さが備わっているような人が他人の書いたものを読んだ場合、磨けば使えると思える原石的な日記が見出せ、利用できてしまうでしょう。
そんなことを心配してこういう公表を避けていたようなところが私にはありました。
もちろん考えたら馬鹿馬鹿しいことに違いないでしょう。でも、万が一にも利用されてしまったらという猜疑は、日記という形で自分の心の内奥にあるものを吐露したいという者にとってはちょっと深刻なものです。
それと、自分の近くにいる人たちにこういう日記をつけていることを発見されてしまいはしないかという虞れもあります。
こういう記述は日記を公表される人にとっては珍しくも無い躊躇いであるかとは思いますが。