蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

かかり過ぎる修理時間とチップについて

もう二週間以上も家の下水の修理で在宅を余儀なくされている。腹立たしいと言えるが、仕事が少ない時期なので、いまやってもらって丁度よかったという安心感もある。ラッキーだったという気持ちだ。
上のほうに住む人たちはやはりリタイヤした人が多いと思う。このヨーロッパも老齢化が進んでいるので、なんと一人あたりの住居の広さと言うと、60平米以上なのである。それは屋敷に住んでいて、子供も飛び立ち、老夫婦が二人ないし、一人で住むとかそんなことが関係していると思う。


中国は一人の子供だけという凄まじい独裁政治的な法律が大手を振っていた直前は、4,7人が平均的な子供の数ということであった。本とかなと疑問に思いますが。そしてその法律以降は1,7人に強制的に出生率を激減させ、二人めを妊娠している女性はやむなく夫と離婚したり、自分たちを守ってくれる山奥の家に匿ってもらうとか日本とか西ヨーロッパでは想像もできない事態になっていたわけです。こどもが日本や欧州でも少ないことに関連して書きましたが・・・・


隣人に、あるいはハンドワーカーに鍵を預けるとかするのは嫌で、またそんなことをしなくても殆ど在宅していた。重なった時には、前もって早く仕事をしたら御礼をだすと彼らにいって、それでやってもらった。彼らとしてもそのほうがやはり人情であるし、チップは習慣になっているので、金がない貧乏人でもそれで出来る限り翌日に延ばさずに当日にやってもらった。だけれども、二週間も在宅を余儀なくされているのに、もちろん土日は作業をしないし、多くの日は他の階上の住居の下水を処理しているので、在宅していてもこちらは馬鹿をみているような気分であった。が、時間を有効に自らやるべきことを探して、わたしも処理するように努めているので、不平不満にはならない。


さきほどペンキを塗り、またあさってに乾いてから来るとかいうので、仕事がはいっていてそれはできない難しいと答えながら、来週に来てもらうことを考えていたが、それではということで熱風を起して乾かせると提案を身長1,80mはあるかと思われる二十代後半の若者が言ってくれて、それだけで嬉しくてチップを渡した。彼は遠慮をして私を驚かせたが、やはり受け取ってくれた。
 
午後1時半にはとても重い天井に吊るして熱や蒸気を浴槽から吸収する大きな板をあげてくれたので、再びさきほどまでではないがやってくれた二人にチップを再びあげた。なんともう一人の若者は、僕はさっきもらったからとまた遠慮をしだした。これはこの板のためだからと言って受け取ってもらった。
ここで疑問に思ったのは、チップが習慣になっているだが、上階の人たちはあげてないのだろうかということだった。彼らは金にしっかりしているはずだが、チップはあげているはずというのが私の認識であるのだが。

倒れるまで働く

自営業を営むわたしは、その職種のゆえに倒れるまで、死に至るまで勤務しなければならないのですが、言うなれば自業自得であって、でも、誰かに言いたくなってついつい書いてしまいますが、それが日記というものなのだと思います。日記にとっては迷惑でしょうが。ただ、この公表日記となると、性格がやはり違ってきてしまいますよね。
今度は、読む人がいらっしゃるということを想定して書くことになります。これって本来の日記の形だろうかとかまた躊躇いがでてしまう。でも、それもいろいろな解釈の仕方があるので、わたしは自分のこれまで書いてきた書き方で書けば良いのかもしれません。


それは、ごく当たり前の自分の周囲のこと。仕事や隣近所の話とかにやはりなってしまうのだと思いますが。また、自分が読んだ、視聴した本や映画やドキュメントの話、そんなことになってしまうのかと思います。


あまり寝ていないのに、また妙な時間に目が覚めて起きた。自由業、フリーランサーというのはそんなものかと思います。酒に強かったり賭け事が隙だったら無頼派にわたしはなっていたかもしれません。


武田泰淳の奥さんが書いた日記が三冊の文庫本で販売されている。日記なんか他人のものを読んで面白いだろうかと思いながら、それまでにも何度か手にとって拾い読みしましたが、やはり自分の残り少ない寿命の一部を使って読むだけの価値があるとは思えずにまたもとの場所に置いてきましたが、この公表日記に匿名で書き込むようになってから、といってもまだつい一昨日のことですが、買ってもいいかなと思った。
カフカの日記は持っていますが、これはカフカの研究者にとっては非常に興味深い本だろうなというような感想しかもてませんでした。といいながらひところは彼が創作で苦しむ部分とか、隣近所の人のことで迷惑を受けたりという部分は感銘をうけて読んでましたが・・・・つまり、移り気なのです、わたしが。・・・という結論に達します。


このムラゴン日記には日本時間で投稿公開時間がでてきますが、こちらは8時間まだ遅れていますので、まだ朝。

老いをまったく意識しないやる気、でも土壇場での焦りぶりは同じ

国際見本市が私の住む街でも開催される。そこで、問題になるのはわたしがずっと視聴し話してきた言語がほぼ通用しないことなのである。
もちろん、日本からは英語の流暢に話せる人が来られるということであるが、英語のリフレッシュを最近行い始めているが、やはりこの年齢では手遅れという感じなのである。それでも、ネット上で英語のための言語教育が一人でできるようにUploadしている組織や個人の殊勝な方々が、いらっしゃるので今から、もう三日後に迫っている今になってやっと学び始めているが、もちろん、日本の英語教師の発音とは全く違い、最初から勉強しなおしという様相を呈している。


このサイトを利用させてもらって書いている方々は、私とまったく同じで、生物学的な年齢以上に若さを感じていらっしゃると思いますが、わたしも全く同じですが、こういうネットで学べるシステムがしかも無料で私の中高校生の時代に存在したら、まったく自分の人生も変わっていたのではないかと悔しがってしまいます。
もちろん、そうであればそれでまた、別の不服不満足な問題が生じてくるのだとは思いますが。

おそらくは、職業病(続編)

料理、といっても決まっていて、衣を着けて油で揚げて輪切りにするというものに限定されているが、それは妻の大好物でもあった。
この日は半分ではなく三分の一も喉を通らず、包んでもらおうかとも思ったが、それを言うのも気が引けて、そのまま眼の前にして姿勢をかえて胃の臓腑から小腸のほうに流れてくれるように工夫してみた。厚着をしていた、上の衣類は革ジャンが一番うえだが、そのしたの三枚はズボンのバンドのしたに入れて絞めていた。たぶん、それも関係しているのだと思ったし、節約のためにドリンクを注文しなかった。それもあったと思う。
さきほどの終了は、途中半端であったが、逆にあの終わり方のほうがいいものになっているような気がする。
こちらは種明かしっぽくなる。
ドリンク無し、無理やり上の衣をバンドのしたに入れていたきつさもあり、また前屈みになって食べていたこともあったと思う。
結局、バンドを弛め、ファスナーも降ろして、座りなおし、ベトナム人の調理師にパックしてくれとは言えないので、時間がかかっても頑張って食べることにした。そとを歩く人たちを見ながらゆっくり食べるのもちょっとわたしとしては変わった食べ方であり、悪くはないだろうと思ったからである。
いつのまにか、ですます調ではなく、自分のためにいつもかいている調子、単調な書き方、モノローグになってしまっている。だ、である調になっている。それでもいいかとか、そんな風にも居直る気持ちにもなっているけれども。

おそらくは、職業病

ネットでなかにし礼について一昨日はいろいろ視聴した。
驚いたのは癌という死病にかかりながら、医者も自ら選び生き延びてきたことである。もう80歳にもなるということで、勝利したといえるかと思う。わたしにとっても、これを読む人のなかにはフザケルナという人も出てくるかもしれないが、70歳を越えられたら、勝ったとわたしは今は思っている。


なかにし礼の作品で『夜の歌』という作品が眼に入った。これがきっかえになって日本の書店に徒歩で行くことにもなった。あるくのは健康にも良いという計算ももちろんある。
しかし、結果は残念ながらすでに中古のコーナーにも置いてなかった。眼の、趣味の肥えた人が他にもいて、買われてしまったということになる。
又吉のエッセーも売っていたはずだった。だが、二回チェックしてももうその場所にはなく、やはり誰かが買ってしまったということになる。すると、店の主人が、売った覚えはないんだけれどとぼやき始めた。ということは万引きをやられたということになるが。


本を探しているときに、白い小型のモニターが店主の机の角に見えた。コンピューターなんですねと訊ねると、彼が違うことを言葉すくなに答えるので、続けて小型のテレビだとわたしは言ってみた。退屈を感じるときには彼も書籍ばかりを読まずにテレビも見るんだと、ひとり決め付けた。すると彼がちょっと言いにくそうに監視のためとぼそっと言った。監視と言っても、スイッチがついてないあまり意味がないんじゃないですかと彼に笑いながら言うと、怪しいと思える人が小部屋にはいるとスイッチをいれるといっていた。なるほどと思ったが、ちょっとぞっとした。わたしにもそんな嫌疑がかかっていなければいいがと思ったのである。
新刊本が盗まれてしまうんですかね、やっぱりとちょっと不快感を感じ始めながら言葉を続けると、ほぼ同時に漫画が良く盗まれるし、美術などのアートの豪華本が盗まれるというのであった。
わたしはそんな大判の重い本がどうやってとおもい、しかし、そんなことがどうやってと思わず彼に聞いた。背広、コートの下に隠しいれて、そして店を飛び出していくのか、そんなことができるのかと驚いたからであった。
すると、鞄にいれて持っていってしまうと主人は答えた。なっ、なるほどと思った。本屋の主人も大変なんだなと、その利潤の少ないのを想像して同情した。
そこで、自分も黒い鞄を愛用しているのを思い出し、わたしは、変に疑われないように主人の近くに置かして貰ったり、白い藤テーブルの上において、それからゆっくり古本を眺めて歩くことを話した。当然、彼も知らなければならない私の態度だと思っているからである。
彼はあまりそんな私の立ち居振る舞いも感知していないのか、いなかったのかよく判別できない顔をわたしにむけるだけだった。
中国の諺に桃李の木の下では冠束を正すなかれとかいうものがあったはずだと思い出し、それを彼に言ってみたが、やはり大した反応も示さない。
この人、わたしを疑ったこともあるのではないのかと不快な気分にわたしはなってきた。
わたしはさらに問わず語りに、そんなことをしたら絶対にもうここに来れないから、できないという言い方を彼にした。彼の疑惑を消すためにとっさに言った言葉であるが、やるきがわたしにもあるが、それをかろうじて抑えているようなふうにも聞こえてしまっていると言ったすぐあとで思った。
古本ばかりをわたしは買ってきたので、古本を盗む人もいないでしょうとさらに言葉を加えたが、じゃ、新刊本だったらあなたはどうなのかと思われてしまうような気持ちにもなり、なにを言っても猜疑心を消すことは不可能かと思った。
すでに二冊も持っている同じ題名の古本を買って帰路についたが、まだ書店の主の態度が頭のなかに残滓していて掻き消す術もないという感じであった。


道中さらにもやもやと上がってきた情景は、磁器で有名な街の近くの採掘現場に行き、日本から来られた百貨店の数人のために通訳をしたことがあった。作業と説明をする現場の中年の男性がどうぞ手に持ってみてくださいと言うので、それがしっとりした湿り気があり、内側は硬いが外側は指で触れると少しづつ白い表面が快く崩れるのだった。記念に持って帰ってもいいですよと担当の人に言われて、でも、入れ物がないと思いながら、デパートの人たちにもそのことを言うと、その表情はすでに「もってては駄目、盗んでは駄目だよ」という歪めた顔に豹変していた。もってって良いといってますよと言っても、彼らはいやったらしい表情が何度も顔にあらわされ、仕方なくわたしは手に握っている磁器の陶土を手から落とした。
同じように、ただで置かれているパンフレットを眺めて、もらっていこうかと思っているときに、ふと視線を感じて背後を振り向くと、この都会に存在する百貨店の男の店員二人がじっと見詰めていた。わたしはたくさんのお客様をお連れして、店も潤っているはずなのに、店にくるものへの猜疑心はもう本能的なものなのだと思った。


そのあとで、バラックみたいな中華の店に入って、久しぶりに鴨料理、鴨肉に衣がつけられ、油で揚げたあとで輪切りにしてヌードルのうえに載せてだすというものであるが、半分も食べないうちにもう喉を通らなくなった。