蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

私たちにはライカという名の愛犬がいた。来夏といつも書いていた。

私たちにはライカという名前がすでにつけられていたゴールデンレトリバーがいた。メスの犬で、家を空けるような仕事があるときには、愛妻よりも愛犬の姿がちらちら眼に浮かんだものだった。それは、妻はひとりでもほうっておいても大丈夫だけれども、子供のようにあどけない愛犬のことは気にかかってしょうがなかったのでした。時間が隙間のようにできた時、あるときには彼女の、私を何かを期待してじっと見詰める眼差しとか、尻尾を振って待機している忠実な姿が眼前に浮かんで、いまどうしているだろうかと胸が痛くなるほど気になったりしたものだった。


ライカには、まず最初に打ち込むたびに来夏とでてくるので、このことを愛妻に言うと、彼女も感激してくれた。それ以来私はいつも日記などには来夏と書いてきた。きたる夏、やってくる夏と解釈していた。


この日記村ではゴールデンレトリバーのメンバーにも自分を登録しているので、この日記を書いていますが、すでに来夏を中心にした文学作品の構想はわたしのなかに存在しています。
もしかしたらSF風になってしまうかもしれないとも考えていますが。
執筆をいかにしてスムーズに行うかということでは皆さんが苦労されてますね。しかし、仕事をしている以上、自分を社会的な周囲の世界から隔絶して自閉症的に精神集中させて執筆するというのはかなり困難なことですね。
ところでアインシュタインにしろベートーベンにして、成し遂げ成功した人の殆どが自閉症の気のある人だと断定する学者もいるぐらいです。

きちんと文学作品の創作に向かいたい

星の王子様の作者で有名なサンテグジュペリに、母国語であるフランス語がおかしくならない様に外国語を学ぼうとはしなかったという逸話がある。そのことを日本いた頃に知っていたらわたしは外国にでなかったと人に語ったことがある。
T女史がドイツ語で小説を書いて出版しているということであるが、ラジオでドイツにおける文学賞を得た彼女のドイツ語でのインタヴューでは、片言しか話せていなかった。A賞を受賞したあとでも、森鴎外の記念館でドイツ語の質問を受けたときに、「アー」「ヤー」とか赤ちゃんのように繰り返すばかりで、該当するドイツ語も見つからないという有様であった。こういう人がドイツ語で作品を自分は書いていると公言している・・・これは驚くべきことだとわたしは当時思った。つまり虚偽ではないかと思った。すると、一緒にそこにいたTIは
 「ドイツ語の文を書くのにドイツ人に直してもらうのは当たり前だよ」
 と怒ったような強い言い方を私にした。
 「でも、それでは自分で執筆したとは言えないじゃないですか」
 と反論すると、
 「みんな、やってもらってるよ。あったりまえのことだよ」
 と断言していて取り付く島もなかった。おそらく大学の論文とか最終的にドイツ人にチェクしてもらって、それで、自分の名前でだしているし、それのどこが悪いんだという気持ちなのだろうと思った。


 わたしは、ドイツ語でも書けるんだよと、別に主張をしたい気持ちもないので、このサンテグジュペリのように日本語でやはり勝負したいと思う。翻訳は母国語をドイツ語とするオーストリア人とかドイツ人にお任せでもすればよいと思う。


 3月の締め切りの公募文学賞には大変重要なものがあるし、しかも多い。わたしは何も書けなかった。脳裏の奥には幾つも書きたいテーマがある。しかし、なにも完成していないし、進捗さえしていない。
 仕事から返ったらすぐにビールでもかっくらって寝るのがいいのかもしれないと思う。そして早朝3時ごろに起床して、そのまま執筆を試み、職場に向かうというのがいいのかもしれないと思う。
 また、日記を垂れ流しで書くよりもきちんと文学作品を執筆するべきだと反省もする。
 簡単な道は存在しない・・・・・

アフターケアー。すべて上手くいったかのように

私が早めに35分間ぐらいで戻ってくると、やはりRが私のことをその場にいらしたHのかたがたに主観的に吹聴していたのであろう、雰囲気が変わっていた。どこか私に気を使っているような気配も感じられた。
わたしは早く食事に行きたくてRに戻ってくださいと言ったわけではなかった。仕事には遅れてくるし、体臭は強く臭く、しかも二人分の席も周りには構わずに使ってもいるし、緑茶がひとつ余計に持ってこられたかと思えると、禄にまわりに確認もせずに
 「じゃ、僕が飲みます」
 と言って口をつけてしまう。そして土曜日の危機とわたしが感じた日の午後はスマホに向かって離れた場所に座っていて、Aさんも言うように、彼は殆ど仕事らしいことをしてないじゃないですかという有様であった。これはなんなんだろうとわたしは疑問に思うばかりであるが、もう彼のことは気にしないで私の仕事への誠意を日本から来られた人たちが分かってくれればそれでもう彼のことは気にしないと考えた。


 Rのドイツ語も英語も蛸踊りのような印象をあたえるもので、手や腕を大振りにふり、最後になぜか、「ねっ」「なっ」と同意を求めるような語尾がつく。聞いていてもちろん見苦しいが日本から来られたスタッフの方々は、そういうものとドイツ語などを思っていてなにもコメントはされない。知っているわたしやAさんのようなもたちだけが酷さに気づいていると言えるだけであった。ただし、なにも彼の妨害になるようなことは言いはしない。
 しかし逆の場合にはつまらないことでも、たとえば壁の写真でもすぐに、それは違うとRは皆の前で否定してみせる。
 自己中心主義者で、帰るときにもスタッフの人たちには挨拶して早めに去るが、決して同僚の私たちには顔を向けることも挨拶することもない。こういう者がいるのだとこちらは驚くばかりである。調子好いというか・・・・


 F市のほうからこの仕事に関してレポートが求められるかもしれなかった。そんなときにはどうしたらいいのかと私は思った。ありのままのことなんか書けない。Rについての批判ばかりになってしまうであろう。そんなことを書くと私の人間性も疑われると思える。読む人にとっては深い極まりないことに違いないと思えた。もちろん、日記は違う、今は公開しているけれども、あくまでも私は自分のために書いている。本音を書いてしまっている。しかし、実際にはこういうことは現実に動く人たちには伝えてはいけないと思う。自分のためにもするべきではないと思う。
じゃ、Rはどうするだろうとちょっと不安に思った。かれはいつか
 「僕はなにかあったら全部書くんです」
 と言って、やはり私を呆然とさせたことがあった。自分が悪くても主観的に自分の都合の良いような事実を枉げて書き送るのかもしれないと思った。
 それで、考えた末、スターリンとヒットラーが取り決めた『不可侵条約』という言葉を使って、漁夫の利を他の悪意のある同業者にとられないように延長を求めたいと歴史的な言い方を使ってメールを送った。


 Rはどうしょうもない利己的な男であるが、そのほかにもそういう職業上のライバルは存在するので、できるだけ摩擦をさけアフタケアーににたような配慮を私としてもしなければならない。

危機

2018‎年‎03‎月‎11‎日 ‎日曜日


起床は昨夜10時半ごろにもボーンのアイデンティティでも目が覚めたが、そのままテレビは点けっぱなしで、横になって寝続けた。ビールはのまなかった。もともと好きではないから、私とビールの前にはこの本来すきでもないという気持ちを乗り越えなければならない低い敷居がある。
 コーラばかりをのんでいた。昨夜は冷凍野菜をいれたインスタントラーメンを食べたくなり、電子レンジで20分間セットして、それから最寄のスーパーに行って買い物に行った。カスラーの肉も買った。これはスライスしてやはり電子レンジでそれだけ2分間ほど煮たり、ラーメンに入れたりするのにてきしているのでカートンにいれた。それと缶ビールの一番やすいのを5本も買った。毎日一本は飲むためである。なぜか缶ビールの数が少なくしかもみんな冷蔵のガラスの大きな戸のなかに入れられている。ドイツ人たちは瓶ビールが圧倒的に好きなのであろう。わたしは、こちらの衛生をあまり信頼していないので、瓶ビールは買わないことにしている。どうしてもというときには、瓶があたらしいものであるかどうか、白い瓶同士がぶつかって損壊している僅かではあるが傷がないかどうかそれをみる。わたしの頭のなかには、煙草を吸う人が灰皿代わりに瓶のなかに吸殻を入れる様子が思い出されてしょうがないし、店のなかでもビールのグラスを逆さにしてたわしの中にごしごしいれて二三回しごくだけで、女性の口紅がべっとりついていたのも実際に目撃しているので、仕事の仕方が大雑把で粗野なこちらの人たちを知っているので、ビール瓶が果たしてきれいに洗浄できているかどうかというと、わたしは根がティーブにしかみられないのである。


 つぎに目が覚めたのは6時半ごろであった。テレビはスイッチが私自身によっていつのまにか切られていた。


 朝方最寄のスーパーで日本から来られたTさんのためにハニータとYさんのためにもビスケットを買って会場に行った。すでに7時15分ちょっと過ぎには催し会場の私たちの部署に私だけが到着していた。そこにAさんもやがて来た。かなり遅れてRもやってきた。つまり遅刻であった。だが、彼は別にすまないという態度でもなんでもなく、着替えもゆっくりというものだった。そばを通って気がついたことは、今朝はシャワーでも浴びてきたのかなと感じたことであった。臭いが弱くなったような気がした。ただ下着は何日間も取り替えていないのか、数時間もすると立ち上がって回りに充満しはじめているようだった。わたしは殊更距離をもって動いていた。


 昼食にはRは12時になるとすぐに消えた。そしてまる1時間時間をとって戻ってくるのであった。そして交代にわたしが45分間ほどかけてぶらぶら座る場所もない、たったままでスーパーでかったミニサラミとかナッツを齧って、炭酸水をペットボトルから飲むという不健康な食事をして戻るのが二三日の習慣であった。
 が、Rが戻ってきて、緑の服も上に羽織っていて仕事をの体勢を整えてでてきているのに、ふたたびうしろのほうにいってしまい知り合いのひとといつまでも話をしている。彼の会話というのは無駄話がおおく、自分の体験なども交えてながながとおこなうことが多いのであるが、このときもそんな感じであった。もう1時10分を過ぎていた。それで自分からYさんにそれでは食事に言ってきますと一言言って、それで済むとおもうと、戻って着たらねと条件を出されてしまった。Rはとうの昔に戻って私たちの前に姿を一度現している。だが、後ろのほうでまだ無駄口をたたいているという様子であった。それで一言言葉を掛ければすぐに部署についてくれるであろうとおもって、その背後にはわたしたちの荷物の置ける場所などもあり、すぐに済むとおもっていると、まずそこに私の知り合いの小さな食べどころという店のおばさんがきていて挨拶を求められた。1,2分で終えてタテでしきられただけの、ただし一応ドアのあるなかに入って食料の入っている黒い鞄を取り出し、会場用の上着を脱いで、黒い人工皮革のジャンパーをきてでてくると、まだそこに笑いながらRがいて話を従業員としている。持ち場ではこちらを二人の上司が見ている。それで小さな声でRさんが戻らないと私がいけないんですよと言った。
すると、行ってください、と馬鹿にしたような笑い顔で言った。人事のような調子である。いや、Rさんが戻らないと駄目なんですよというと、だから行ったら、と再び人事のような、言い方でもあり、彼に決定権でもあるような言葉使いであった。部署にドイツ語のできるものがいなければならないのに、この50歳を越えた独り者は平気でほとんど嘲笑を交えて言葉だけで簡単に返してくるのである。そのときにわたしの頭の中ではこの面を殴りつけてやりたいという気持ちが込み上げてきた。不思議なことに私は自分の怒りに膠着した顔がはっきり見えた。ほとんど体も一歩とはいかないまでも半歩前に突き進んでいた。それからこのいい加減な男が顔をそむけたのか、そのえへら顔が一瞬とまったのを見たのでわたしがその場をさって食事の場所をさがしてでたのか記憶に無い。怒りがあまりにも大きく脳裏には彼の顔を私の右手が打ち込まれている映像が流れているので、思い出せないのである。それだけその次の瞬間の気持ちが大きかったので、その直前の一瞬がどういう反応であったか影になっていて思い出せないのである。衝撃とはそんんあものかもしれないとおもった。あとから想像して継ぎ合わせえても、それはぼ補充的な仕業ではないかとおもう。もうあの面もみたくないとおもった。また、わたしのこのときのことを日本から来ている人に、わたしがミニサラミとか齧っているこの瞬間に奴が誇張して吹聴しているかもしれないとも思えた。こんなときには早く気持ちを落ち着けて何事もなかったように日本側の人たちの望むように仕事をすすめ打ち込めばいいとおもった。


Aさんがかえってくるとわたしの近くにやはりよる感じになり、今日で自分の雇用が終わるという話をしていた。いや、それどころか日本にいってしまうという話もしてくれた。帰ったら帰ったでまたこちらが懐かしくなるかもしれないと私も言ったが、それは彼女も想像のつかない感情であった。‎2018/‎03/‎11 7:42:19

この日本人の現地雇われスタッフが最悪の体臭保持者であった。

日本から来るお客様や会場で初対面の相手と狭い場所に座っていろいろな話をして契約とまではなかなか行かなくても、参考になるアドヴァイスを差し上げたいものであるが、Rが驚くべきことにもう3,4日間も体からむんむん臭い臭いを放っていたのでこちらは耐えられなかった。
いったい、日本のかたは鼻が鈍いのだろうかとわたしは疑問におもったほどである。それは大蒜を食べて朝もやってきて、昼も自分が作った大蒜料理のその口臭だけではない。体全体から乾いた汗、会場のなかで過ごしているうちに汗をさらにかいて古い汗の臭いがさらに蘇って回りに充満する臭いでわたしはたまらなかった。本人は自分の臭いなので気がつかないのであろうが、まわりの日本から来られた方々がなぜ気がつかないのだろうとしばしばその表情を見詰めたことがあった。だが、顔を顰める人がいなかったようだった。
同じ職場にやってきた女性の同僚にたまらなくてそのことを少し触れると、日本のかたは悪臭をかいでいても、顔にだしてはRに失礼なので、ださない。そこまで日本の人は人のことを思ってあげてやるということでは、そういう結論に達した。
わたしは綺麗な女の子が多少体臭が強くても、いや、逆に関心を持ってしまうと言えるのだが、むさ苦しい男が自分中心になんでも繋げて引き寄せてほんとうにくだらないこと、重要でないことでもべらべら話して中心に居座っているというのが全く理解できない。このRはこういう仕事には本当は適していないとしか思えない。
去年もやってもらったということで恐らく今回も使ってもらっているのだろうとおもう。R本人はだからいい気になってしまっているのかもしれない。数万人の訪れるこの会場で一番この日本人のこちらにすんでいるRの体が悪臭を放っていていた。
これも、人間観察というか、信じられないことなので書くことになってしまった。