蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

2024-01-23 火曜日

2024-01-23 火曜日


腹水のせいで胸に圧迫があり呼吸できなくて午前6時には起きだした。いま、コーヒーを飲んでいる。
07:25 2024-01-23


 夢


 狭いガラス板のテーブルに両の掌を伸ばし、その合わせた甲の上に重いおでこを載せて目を瞑った。眠ると言うよりは休むと言うためだった。すぐにこうやって休みたくなる。
 すると、もう夢をみていた。わたしには女子高校生のようなグル―ぷがこれからバスにのって出発という感じで、有り難いことに重いスーツケースはもう入っているのか、わたしはみていない。そのかわり同じユースみたいなホテルからでてきた他の大学生か高校生の女子たちがひとつ前のバスに乗り始めていて、どこの学校だろうと話し合っている。そこにはもうひとつ違う学校のやはり女子高校生のようなグループが後ろにいた。合計三台の関係もない学校のバスが縦にならんでいる。
 わたしは、自分の担当の女子たち、黄色とか白いブラウスなどが目立つ服装のかのじょたちに噂をされてますね、なんという学校の生徒かと、すると、わたしのそんな小さな声が前のグループの女子になんと聞こえたらしく
 「しましましま」
 ですかと笑顔で聞くのであった。どうも島島島と訊ねているよういだった。しかも、三台とも音楽関係の生徒のように、夢のなかのわたしは感じている。こんなにたくさんの女子生徒がしかも同じビジネスホテルのような簡易なホテルに、これから出発と言う様子で三台もいるかなと思ったところで目が覚めた。夢をいま、ほんの僅かな間に見たんだと思い驚いた。
07:49 2024-01-23


 文章だけを文庫本で読み、日記をかくという18歳からの日常は、今のわたしには、このときの喜び、楽しみなしでやることはできないみたいで、やはり刺激が欲しくなる。でないと鬱になりそうな気がしてくるから。なったことは一度もないが、曇天が続き部屋が寒く老後の財産はS/Michaに盗まれ、再度要求しても無視するというありさま。しかも、わたしの体は、歩くのにも老女からなにか、みんなに追い抜かれのろま状態だ。
 ツアーを徒歩でするときにお客は私の体調が悪いことにすぐに気が付いてしまうだろう。ましてや空港でドッペルデッカーの中二階に入れた重い荷物など運転手と40個も上げ下ろしはできそうもない。I村氏は、おれはやらねえよ、運転手の仕事だよとかわしているようだが、たしかに、わたしが手伝わなければ運転手が今度は空港様にバスの腹に入れてだしいれできる通常のバスを選んでホテルとか空港にやってくるだろうとも思う。わたしが手伝ってやってしまうから、それを見越して中二階にスーツケース倉庫のある酷いバスできてしまう。それは心理的にありうることだ。
07:59 2024-01-23


 小尿をし、コーヒーをその後で飲んでしまったが、つまりベットに横になってもまた腹水のために呼吸が苦しくて起きだすのだと思うが、正直また横になりたい。
 昨晩、そんなに水分をとっただろうかと今思いだそうとしているが、ビールでさえ飲んではなかった。もちろんワインも。これはどういうことか、腹水の原因が分からない。衣付の魚をフライパンで焼いて、まさに衣ばかりを食べ白みの肉の部分は残していた。あとは少々玉ねぎとかブロッコリーも同じフライパンで温めていたのを食べたが、水分はわたしの記憶のなかではそれほどとってない。ということは前日の水分が体に残ってゐるということなのだろうかと思う。


 ところでエアゴから封書が二通来ていたが、ひとつはアラブ人の侍医からの530ユーロの費用をクリヤーしたという報告だった。
 彼は、眼の下、涙袋のハンザプラストを二度貼り換え、テタノスの注射を一度し、もうひとつ何か注射しただけなのだが、それだけでこの金額というのはちょっと信じられない。やはりぼったくりという感じだ。
 日付が12月の21日になっていたが。
08:20 2024-01-23


 八時を過ぎて流石に明るくなってきた。相変わらずの白い曇天だが。風は凪いでいる。昨日と比べて。外気温は五度だ。
08:21 2024-01-23


 体のコンデションがおかしい。小尿のためにトイレにたち終えたあとも結構体全体で呼吸しているざまだ。これはやはり冠状動脈が詰まっているということだとしか思えない。
 愛妻ダークマーはステントの手術のあとで、心臓ペースメーカーの手術もほぼ同じ日に行われ、それで息絶えてしまった。煙草で体を侵されていたし、だいたい体のコンデションが悪すぎたのであろうと今では思う。
 それでも67歳だったから、来夏のお蔭でおそらく予定よりも長生きできたほうなのかもしれない。もちろん、わたしが馬鹿なせいもあって、遅くなってから帰宅したことも大きく関係していると思う。マレフスキー婦人とは電話で話をしていたということだったが、それが何時頃のことであったのか、それを知れば、何時からダークマーが心筋梗塞で倒れていたのか分かるのだが。その電話番号ももってないし、彼女は相当な肥満体であったし、私と同じ糖尿病でもあったから、もうこの世にはいないのかもしれない。もうあれから11年経過している。
 でも、わたしはダのこと、来夏やサッシャ、カスパーのことは忘れていない。みんなわたしに拘わった大事な伴侶だった。
08:36 2024-01-23


 体調が悪い。Þりょっと廊下や厨房などを歩いていれば平常なものになると信じていたのだが、書斎に佇んでいると、ベットに戻って倒れ込みたい衝動に駆られた。だが、横臥した後で再びふらふらして元の木阿弥になる可能性もあるので、椅子に座った。座るのは悪くないみたいだった。


 食べてないからエネルギー不足で体調委がすぐれないのだろうかとも考えたが、今朝、深夜に魚の衣を食べている。もしかしたら昨日まったく薬を飲んでないのデそれが原因だろうかとも思った。だが、分からない。
 心臓ペースメーカーがなかったら気を失って、誰にも気づかれずわたしも死亡するのかもしれないと思った。
 クリニックの玄関では、まったく気分もなにも悪くならない状態で、簡単にすうっと意識を失っていた。
 それはペースメーカーのお蔭で自分にはないと思ったが、もう空港からバス駐車場まで400mスーツケースをおしていくのは私には無理だと思った。歩くだけでも怪しいのだから。
 サーヴィスでお客のスーツケースを押して言って意識を失い心筋梗塞で転倒し死亡するのはちょっと不味すぎる。まだ、書きたいこと、書かなければならないことがあるのだから。それを書き終えるまでは死ねない。ましてや誰もわたしに押していくのを頼んでもいないのに、それで死んだら「手前が悪いんだ」とか「そんなんだったら、なんで荷物を押していたんだ、馬鹿かお前は」と死んだ後も罵られるような気がする。ましてや押してもらった人は、自分に責任、良心の呵責のようなものをなすりつけられる様で、気分を害してしまうだろう。だから、I村氏が言うようにやる必要はねえということになろう。
12:15 2024-01-23


 今日は創作を続けたい。21日の昼で終わっていたから。
13:12 2024-01-23


 コーヒーはのんでしまい、8条のために露yクチャものんだが、8条の薬のために緑茶も飲んだ。だが、やはりまだ睡眠はひつようだし、横臥をとらいすることにした。
 いつ頃ベットに入ったのか記録しなかった。起床は午後4時半だった。体のコンデションが少し恢復したような気がする。
 それから、不快感、嘔吐感も少し、そしてベットに倒れ込みたい衝動があったその原因は貧血なのだと漠然と今は考えている。でも、ブルートフズィヨーン輸血はもう経験したくない。どんなウィルスが潜んでいるか分からないし、冷たいし、他人の血だ。そう思うだけで気持ち悪くてしょうがない。
16:44 2024-01-23
早いものだ。時間の経過は。ウルツンへと章のタイトルを書いて、ぼんやりしていたら、もう一時間経過してしまっていた。これからベットインしようかなと思う。今朝のような腹水は大丈夫だと祈りながら。ぜいぜいはあはあは結局貧血から来ていると思うが。


02:02 2024-01-24

2024-01-22 月曜日

2024-01-22 月曜日


 私がまだ若いころには本当に三島張りに文体に、文学的表現と思われる文章に拘っていた。だが、それも、四〇年間のドイツでの職業生活で消え失せてしまったという感じだ。
 いま、林芙美子のウィキの紹介を読んでみて、詩作で彼女が始まっているのを知り、自分の最初の文学的な体験もそれに似たものだったと思った。彼女の場合にはそれが持続して名作を残したのだが、わたしは、俗人となり、でもそれに代えがたいダークマーとの愛情生活を生き体験することができた。しかも、二〇二二年の五月にはクリニックの入り口で二回ほど死亡していたが、蘇生させて貰い、第二の生を受け、しかも、コロナと円安のせいで俗的な仕事から遠ざけられている。だが、収入はなく、貯蓄していた4500万円の財産もスン・ミヒャエルズとその妻アンニャによって盗まれたままの状態で今日に及んでいる。金庫から盗まれすでに11年経過している。盗んだことを指摘し、犯人のスベンは降参してもおかしくないのに、盗んだまま返金をしようともしない。驚くべき鉄面皮だ。徹底的などうしょうもない犯罪者だ。一昔前だったら、暴力をふるえるものを雇って返すまで殴ったり蹴ったりさせるのであろうが、わたしが逆にやられるような感じになってしまっている。


 I村氏には半分冗談から八幡太郎義家と自称しているが、円安と冬季ということもあり、なかなか経済的には恢復は見込まれない。
 Ergoから二通の手紙が来てひらけなかった。怖くて。3500ユーロ払えという要求にしか思えなかったから。だが、内容は有り難いことに違っていた。去年の12月にアラブ人の侍医に見て貰った簡単な、ただプラスターを貼り、テタノスの注射を打ってもらっただけなのに530ユーロほどの金がとられたという報告だけだった。最初はひと月分の金額とまったく同じ額なので、そのよくわからない必要もない連絡かと思ったが、その額を侍医は要求して保険会社が払った、といってもわたしの負担が3500だが、というものであった。
 I村氏の、保険料金がただであるという話が滅茶苦茶羨ましい。
 00:56 2024-01-22


 午前11時15分胸や腹がちょっと苦しくて目が覚めたよういだった。やはり海苔巻きのせいだとわたしは疑っている。


 銀を部屋の北側にある二、三の段ボール箱をあけてチェックした。すでに検査済みであったが、やはりなかった。覚えはないが、部屋の角に積んだ箱のなかにあるとしか思えない。それを運んで開けてみるのはまた体力のいることだ。運動は良いはずだが、心臓の悪い私の場合は、どの程度まで動けるのか、動いていいのか良くわからない。数日前にエデカを往復した時、次々に道行く人に追い抜かれていった。また、歩くのがのろくなった。どうしてだろうと思った。心臓の冠状動脈のステントが詰まったとかということなのかと疑いたくなった。帰宅してその晩は赤ワインガロのCS、を飲んでみたが。


 外気温は9,10度ほど。ただし、風が強く、近くをジェット機が飛んでいるのかとさえ起床後には思ったほどだった。空高く飛行機が飛びもするが、音などは通常聞こえない。曇天の場合はもちろん飛行機雲でさえ見えない。スマホをみれば風の強さも表示されるが、そのためにだけスイッチを入れようとも別に思わない。
12:50 2024-01-22


15時45分 大豆などの残りや魚の白身の入ったご飯を食べた。雑炊という類のものだろうか。薬は昨日も飲まなかったし、今日もまだ飲んでない。一週間分を作ってないからだが、体に休憩を与えた方が良いような気がしているからだ。


 ずっと、林芙美子作品の朗読に耳を傾けている。一種の読書だ。普段から本を読まないので、表現力も大分衰弱していると思えるので、読書はやはり必要だし、彼女の作品は感情移入できるということが一番肝要なことだし、有り難いと思う。
16:02 2024-01-22


 中央大学の編纂、宮沢賢治を視聴し、浮雲を続けて録音した。


 ごちゃまぜの雑炊を食べたのはもっとずっと前だったと思うが、もうわからない。昨日だったような気もする。


 体重が再び増えたのデ歩くのが鈍くなったのか、sれとも冠状動脈がつまってきたので、のろくなったのかわからない。ちょっと減量も考えたりして月末まで考えなければならない。
 林芙美子は林真理子に言わせると自分のよういに食べるのが好きだから太りもし、心臓麻痺をおこしてしんだのだということだが、47歳。わたしよりも20年もわかくして。中原中也は音声だけ100分でシリーズが放映されていたが、彼は37歳で亡くなっている。わたしよりも30年間も早く。


腹水で今朝も十分に眠ってなかったせいだろう、横になりたくなって午後11時にはベットインしていた。午前4時頃には目が覚めタブレットで西村賢太と石橋のインタビューを視聴し、もう暗唱できるほど行くとも視聴しているが、それから司馬遼太郎を視聴し、午前6時には腹水で横になっていると呼吸が苦しいのデおきだした。
 もう火曜日の早朝だ。
07:05 2024-01-23

2024-01-21 日曜日

2024-01-21 日曜日


 2XXの漂流記、彷徨える二XX
 漂泊記 


 起床は十時半だった。就寝が五時過ぎだったから五時間は寝たことになろう。今朝は深夜に三度ほどキュウリのピクルスを入れて二回、鰯の缶詰を使って一度、海苔巻きを作って食べた。そのせいで、起床後に酷い口腔の渇きがあった。コーヒーで渇きを癒したが。
 それから、ソニーに接続していたスピーカーがその音声、鈍い音からつけっぱなしにしていたことを知り驚かされた。いつも気を付けていた積りだったからこの驚きは特別で、自己反省。
 そのあと、ソニーのスイッチを入れて、林扶美子作品の朗読を録音したいと思った。強い欲求があった。だが、一度始めたら、もう創作も減ったくりもなくなるのは目に見えているので、我慢して、自分を抑えて、アソスを開いて、徐に創作の文章に目を向けた。すると、気に入らない点がでてきて、なんとなく推敲に走れた。しかも、その間に当時のロッテルダムでの情景が眼に浮かんで、執筆に入れた。


 こんなものだと思った。
 とにかく、文章を読む。推敲とまではいかなくても、直したいところがでてくる。光景、情景が浮かんできて執筆に入れる。この順序だと思った。
 12:49 2024-01-21


 もう、いつごろ半納豆ご飯を食べたのか思いだせに。起床してまだ二時間半ぐらいじゃないか、早すぎると思ったことだけ記憶している。
 それから、白ご飯、炭水化物の後遺症で、昨日あけた鰯の缶詰と刻んだ玉ねぎを混ぜた物を入れて海苔巻きを作って食べてしまった。それが午後五時頃だったと思う。あとは、座っていても頭が下がって意識が遠のいてしまい、ベットに横になることにした。背骨に負担をかけるよりは横にちゃんとなったほうが良いからだ。だが、そのまま寝込んでしまった。
 夢を覚えている。林扶実子が唐草模様がガラス戸の前にあったようなことを書いていたと思う。唐草模様にもおおざっぱで太いのとか細いのやらこまかいのやらいろいろあるだろうと思ったところで目が覚めた。時計を見るとまだ日曜日の晩であった。午後九時半だった。外をみても暗いだけで、早朝か晩か分からないのデ時計を見て初めて知った。下の階のジャロジーネが降ろされるのかあげられるのかわからないが、同じじゃらじゃらという音がしていたのを寝乍ら聞いていた。
 熱いブラックコーヒーを飲んだ。林扶実子の牡蠣を聞きながら青空文庫でテキストを探したがまだ作成中であった。たしか、この作品も代表作のはずだったから読もうとおもったのだったが。


 就寝前には中央大学文学部作成による『知の回廊 志賀直哉』を視聴録画した。続けて阿川博之の娘の佐和子と、志賀直哉の孫と言う山田なんとかという人の対談も視聴した。芙美子と同じ尾道が登場するが、わたしが行くようなことはもうこの世ではないと思った。


 わたしは、厨房に行くときにも、小尿でトイレに立つときにも、
 「カァッスパーヒェン」
 とか、
 「ザッサ、サッシャ」
 「来夏、来夏」
 と独り言のようになにもいない、でも気配を感じて呼びかけることがある。しょっちゅうといってもおかしくないぐらい呼びかけている。第三者が見たら、わたしは痴呆症とか認知症なのではと思うほど呼んでみたりする。
 気配と言えば、たいてい起床しかけ、ベットの中で目を覚ました直後に、隣の部屋にダークマーがいるよいうな気配をたっぷり感じるのも事実だった。彼女がいるような雰囲気、空気が感じられるのだ。この住居にダが一緒に住んだこともないのに。妙なことだが、はっきり彼女のいる雰囲気が感じられ、隣の部屋にいけば彼女の姿がみられるような気もするぐらいリアルなのだ。
 ちょっと勘繰ると、金ロみさんが日本で聞いた話とか上階のヤさんが言っていたと言う、知らない黒い影が居間に座っているという、あれに類したことだろうかと考えてみたりもする。
 つまり、ダがわたしを迎えにきているのだろうかとちょっと考えたりもする。だが、黒い影ではない。不気味でもない。温もりもありそうな良い臭いのしそうな黄色とか水色、ピンク色の綯い混ざり流れ漂う淡い霧に近い帯のような雰囲気として愛妻ダが近くに感じられるのだ。だから、そんなお迎えとは違うだろう。ましてやまだ死ねない。書きたいこと、書き残したいことがまだまだあるから。
 賞がとれなくても、デビューできなくても良いように、ホームページに最後はわたしの作物は載せなければならないから。それがまだ、されさえもまだできてないから、まだわたしは死ねない。
23:32 2024-01-21

2024-01-20 土曜日 『ガ合戦』『生XXの狭間で』『キュス』同時並列進行?

2024-01-20 土曜日 『ガ合戦』『生XXの狭間で』『キュス』同時並列進行?


 風は強め。午前9時半に起床。薄明るい曇天。うっすらと陽光も南から滲み入るようだ。外気温は3度。書斎窓辺の室内気温は14度。
 どうしても胸周りが冷えるのデ、凍えを感じるので、ダークマーが使っていたグレーのチョッキを着衣している。下着、ジャージーを二着、チョッキ、そして紺青の良い布地のガウンで上半身は固めている。5種類のものを重ね着していることになる。下半身はパンツにパジャマ?とジャージーで三着だ。


 バルコニーの虫除けの黒い網が揺れているし、遠くの松の常緑の葉と枝もゆっくり上下左右に風に弄ばれている。
 この寒い風の中、土のなかに横たわるダのこと、外を歩き回っていた黒猫カスパーヒェンのこと、また地下鉄で挨拶したわたしを茫然と見ていた後ツェさんのことなどが次々に思いだされた。偶然、この小さなでもがっちりしたおばさんが地下鉄から降りていく仲間か知り合いに手を振って高い声で別れを告げているのを隣の車両にいたわたしが目撃したのだった。
 わたしもそこで降りなければならなかった。でも、すると後さんの眼にわたしの姿も見られることになる。でも、下りないわけにはいかないし、降りて反対方向にプラットホームを歩いて出るのも馬鹿みたいだ。だから、降りて、頭をさげて挨拶だけして、ドアの近くに立っていたこのおばさんを尻目に歩いて去ったのであったが、その時の彼女の表情は、無に近かった。なんでいきなりこの男に挨拶されなければならないのか、どこからでてきたのか、今の自分ともうひとりの別れのシーンをこいつはみていたのか、などなどその表情にはむしろ分析し思いあぐねているような鈍いものが感じられた。でも、挨拶ぐらいはしておかないと、あとで何を言われるか分かったものではないからわたしもしただけのことだった。


 『ガ合戦』を同時に書いても良いのかもしれないと思った。売れっ子でもないのにあれもこれもと手を出していると収拾がつかなくなるような怖れがあるのだが、だから、ドイツ人が良く言う、アインツ・ナッフ・デㇺ・アンデァンという、ひとつのことにより集中すること、それがスピードにも、作品完成と整合性にもつながると考えているが。でも、ガイド合戦に登場するエピソードが驚くべきキャラクターが脳裏によく、頻繁に浮いてくることも確かだ。
 これも、断片メモという形で同時並行で記述していくのは悪くはないかなとも思う。『2XX放浪記』とは世界がまったく違うので混乱することもないような気がするし。それが『日本レストラン』と同時並行ということになると、『キュス』と『愛来夏』のように近すぎて、類似、近似すぎてやはりもう一方の作品は書き進めないということになる。だが、22歳とガイド合戦は別世界だから可能かと思う。
 残念なことに、『生の狭間で』は『愛来夏』を執筆している時に、そのモチベーションが萎えてしまった。また蘇ることは十二分に考えられるが。……それは殆ど出来上がっているが放置しpっぱなしの『日本とドイツの』とおなじようなものなのだと思う。


 最後には風と共に去りぬとか、西村賢太作品のような、希望を未来に願い、見つめて終わるというものになると思う。11:31 2024-01-20


 石田衣良たちが言っていたように、文学賞には長編が多いと私も思う。だが、わたしにはすでに完成しているような短編がある。その発表の場も欲しい。自分への励ましのためにもモニター上ですぐにみられるようにするか、印字して手元に置こうと思う。主なわたしに該当する、というか目標にできる文学賞を。
11:52 2024-01-20


 エデカに行った。なぜか私の足は重かった。心臓冠動脈が詰まって血行があまりよくなかった22年の五月のことが思いだされた。それと林扶実子も心臓の病気で急逝している。心筋梗塞だったか、なんだったか……享年47歳だったという。わたしよりもちょうど20年間も若くして急逝したのだった。
 創作は、ロッテルダムへの車のなかでの会話まできている。が、石田衣良の言う通り、最大の敵である、自己猜疑に陥りそうになっている。こんなのでいいのだろうか、と。読者にとっては退屈ではあるまいかという疑心暗鬼だ。
 シュリンプㇲ入りの日清カップヌードルをこの時間に食べた。
 22:29 2024-01-20  


 半額のアーモンドチョコを一袋全部食べた。昨日はとてもこの甘いものを食べる気持ちにはなれなかったのに。
 林芙美子の『清貧の書』の録画録音をしている。芙美子の作品は意外とわたしの人生と共通点があるよういな気がしている。一作もこれまで読んだことがなかったのに。
23:48 2024-01-20


 続けて、これまで憧れとまではいかなくとも、関心が高かった「風琴と魚の街」の録音を始めた。高校生のときに、伊藤整の『雪明りの街』と同じく、この作品を聞きかじり、それで初めて他の学校では内容の違う教科書もつかっているということを知って驚かされたものだった。伊藤整の『若き詩人の肖像』はその後読破し、その書き方に好奇心を持ったが、しつこいとも感じた。ジョイスの影響だということも後でしった。が、今日までジョイスは一冊も一遍もよんだことがない。
 創作のほうはロッテルダムのドイツ人家族の家に入るところまで来た。
01:09 2024-01-21

2024-01-19 金曜日

2024-01-19 金曜日


 一度見始めるともう止まらなくて、次々に見まくって、いつの間にか深夜の4時になってしまっていた。まさに河童海老煎、炭水化物だ。昨晩からマルコ・ポーロからデューラー、オデッセウス、ベーアヴルフと切が本当になかった。こういうドキュメントが面白すぎてやめられないのである。だが、やめなくてはいけない。やめられないのであれば、始めなければ良いのであった。まさに、それだ。始めないということだ。
 だから、天才と言われる人たちは、最初から起床後に仕事を始める。創作を始めると、それがそのあと一日中頭に引っかかっている。つまり、仕事中心の一日になれるということが断定できるのだ。


 ドキュメントは素晴らしいが、創作中心主義でなければならない。けっしてメインに炭水化物をおいてはいけない。屑のような時間にあてがう、それで良いのだと思う。


 今朝の就寝は午前5時半だった。そして起床が白い明かりで起こされた感じで午前9時だった。
 東側の外気温は厨房の窓の温度計でマイナス1度。西側ではマイナス2度だった。
 室内気温は西部屋、つまり書斎の窓際で14度。佇立した時の頭の位置にある温度計で18度だった。
 コーヒーを作って飲み、暖房のダイヤルを捻る。触って熱くない程度におさえて使用。だから、やはり体はちょっと震え気味だ。ジャケットを下着、パーカーというのかジャージというのかを二枚の上に着衣してなんとか凌いでいる始末だ。


 そうだった、実は昨日晩にも創作は続ける積りであった。だが、アソスはストライキを起こすまで休憩、エネルギー節約と言う状態にはしてあげるが、ずっと幾週間もつけっぱなしで使用している。それで、たまーに動きが鈍くなったり、なかなかモニターに文字もなにもあらわれなくなってしまったりすることがある。それはそうだ、酷使しまくっているのだから。
 昨晩というか、昨夕がそんな周期の到来した瞬間だった。やむなくスイッチを押しっぱなしにして切ってあげた。ちゃんとアソスを休ませてあげた。
 書いていた、モニター上にひろげていた日記も、創作も二つのシュパイヒャー、貯蔵庫にいれてあるから、消え失せてしまうことはないと信じて切ったものだった。結果はちゃんと成功し、またあらわれてくれた。
 10:47 2024-01-19


 日記は創作のためのウオーミングアップとして良いと思っているのだが、もう二時間近くも書いている。そのために、気分転換のようなものの必要性が感じられ、飯でも炊こうかとか、考え始めている。
 つまり、創作に向かうべき時間とエネルギーが日記によって大分とられてしまったという結果なのだと思う。すこしでも精神的な集中力をと考えて、クラッシックラジオでさえもスイッチをいれてない。時計の音、どこやらか響いてくるダンプカーの音ぐらいしか音声はない状態にしているのだが、日記が主体ではない。創作が主役だから、これも、日記を書くということも考え直さなければならないだろうか?
 私自身にも分からない。
 ご飯も炊いて食べたあとの自分と今の自分とは体も心も違ってしまう。まったく不自由な奴としか言いようがないかもしれない。


 ところで昨日の日本のニュースで、二人の男女を殺した後で証拠隠滅のために放火したという、当時19歳の男?少年が裁判長から、検事がわの要求通りに死刑を宣告している。たしかにやったことは酷いことだが、特定の少年であるということが引っかかる。死刑にしなくても良いのではないのかとドイツに長く住む私などは思ってしまう。つまり無期懲役で良いのではと。しかも、裁判官は自分のやったことを考えてくださいと言ったそうだった。考えろと言うのもおかしな話だ。もう死刑の判決を下していて、更生もなにもこの青年に期待してないのだから。反省に一番良いのは命を長らえさせることではないのかとわたしは思うのだが。しかも特定の少年ということなのだから、これは冷酷な判決ではないかとさえ感じられる。
11:16 2024-01-19


 曇天には違いないが、天空は薄青い、微かに青いし、陽光も南西から弱いが空中に滲み込んでいるという感じだ。いずれにしても今は三度、部屋のなかも寒い。
11:18 2024-01-19


 フィッシュシュテープヒェンと衣つきの大きめの同じようなものをオリーブオイルで炒めて、ニンジン、生玉ねぎ、アイスベアグザラーと食べた。それぞれ、4本と3本で、いま倦怠感に襲われている。食べ過ぎなのだろう。美味かったので全部食べてしまった。もっとも衣が美味しかったので、白身魚自体はフライパンにのこしたままのものもあるが。
 そして9錠の嚥下だ。 いや、昨日は9錠だったが、今日は8錠だった。
12:12 2024-01-19


 昨日の日記に、イロケーゼが、わたしのカートンの中を露骨に覗いたこと、ビールの箱の蔭に払う積りもないものが隠れてはしていまいか、逃さないぞと言うジェスチャーにも見える表示があったが、ほかに、コッファーはと普通どのキャッシャーも聞かないことを訪ねたりした。
 訊ねられたわたしは、その時、全く不快な気分にはならず、むしろやっと一人が聞いてくれた。これで、たまにわたしが持ち込む赤い旅行鞄が空っぽ状態であり、ビールを入れるためのものだということがやっと言えると喜んだほどだった。また、こういう質問をキャッシャーがするのはベレヒティヒトなことだとも思った。当然のことだと。本当に聞かれて嬉しいぐらいだった。猜疑らしいいものがあったとしたら完全にそれを今、払拭できるのだとさえ思った。
 胸の上に持ち上げて蓋をあけて彼に向けた。彼は目をくりくりさせて本気で中を覗いている感じだった。
 そして支払いが終わったあとで、通常、スー;アーの外でカートンの中のビールをスーツケースに入れ替えるのだが、迷惑だと注意されても良いと判断というか、心の準備をして、瓶返却のオートマートの手前で入れ替えた。もちろん、入ってくる者、ビンを返しにオートマートに近づくものがいても邪魔にならないだけの領域は十分にあけるようにして入れ替えた。入れ替えながら、上からビールを二本づつ下のコッファーに入れ乍ら、望むらくはイロけーぜがレジからわたしのやっていること、どのように入れているのか、コッファーをつかっているのか見えますようにと祈ったぐらいだった。
 そんなことが今思いだされた。
 ただ、数時間もすると、やはりスーツケースはと私に訊ねたイロケーゼの態度は差別的ではなかったかと不愉快に膨れ上がってきていた。
 13:24 2024-01-19
  五時までは白んだ明るさが残る時期になったので、それまでにNP]に行こうと思った。金曜日の午後からすでに肉などが値下げになるのではないかと予測できたからだった。
 だが、下がっていたものはあったが、多くはなかった。七面鳥の肉が三つだけだった。あとは、よく見ると、賞味期限が23日となっていた。今日はまだ19日である。火曜日が23なので、その日の午前中二行かなければならないということだ。
 厨房の流し台の配管が詰まっているのでまた針金の入った赤い管を入れた。が、この前よりももっと深く入ったのにも関わらず流れ出て行かない。いったいどういうことなのか、上階と下階を繋ぐ配管が詰まっているということなのだろうか。でも、まだ時間を置いてごしごし押してみる積りだが。回転させていたら、その首根っこから捻って切れてしまった。もっと高い金額の太い針金を買わなければならないということか?
 買い物の時間はもちろん1時間はかかった。配管の作業は不成功に終わっているが三十分かかっていて、もう午後6時近くなってしまった。その間ずっと久しぶりに因幡晃の歌声を聴いていた。
17:47 2024-01-19


 約一時間ほど私たち三人のことを中心に執筆していた。五感を生かした書き方にはなってない、とにかく話の筋が中心という感じ、まさに草稿、初稿という状態だが、ロッテルダムを次の章では書くと言うところまできたが、どしどし書くべきなのかもしれないがやはりここで休憩で、あるいは本日は終了、やめということで、ビールを飲み始めた。電子レンジで茹でた大きな七面鳥の肉は、味付けとかがまったくわからないので食べる気にはならない。フライパンで両サイドに焦げ目をちょっとつけてステーキとしてたべるというのも考えられるが、いずれにしても今日はもう食べない。
 味噌汁も数か月ぶりに作ってたべても良いが。実をいうとそれほど食べたくもない。食べ始めると好きだったことをおもいだして全部のんでしまうほどだが。
 作るとしたら玉ねぎとニンジン入り、七面鳥の肉入りになるかと思う。
19:09 2024-01-19


 信州みそで食べた。素晴らしかった。本物の日本の味だと思った。これで、間違いなく楽しめる和食の味がもうひとつ増えたと思えたぐらいだった。納豆の他にこの信州味噌汁ということで。
 眠気がそのあとで指してしまっていた。以前にもおもったことがあるが、味噌にはおそらく自然な睡眠を誘うマグネシウムが豊富に含まれているのではないのかと思う。横にならざるを得なかった。
 はちじちょっと過ぎに寝入ったと思う。起床はもう真夜中を過ぎていた。優秀なソニーのラップトップももう十年前に買ったものだし、高いものではなかった。だからスイッチをいれても、すぐにモニターにネットがあらわれてジョインでチャンネルが開けて映画が見られるわけでもなかった。ナオミ・ワット主演のペンギンと言う名がつけられた鳥、つまりペットとの交流みたいなものがテーマであるのだが、それをまた録画したいと思っていたが、0時半に始まるのデ到底無理な話だった。それにすでに録画はしているのだから、一か月前ぐらいだったか、だから厳密には録画も必要なかったのだった。
 わたしの頭には雄猫のサッシャのことはもちろんだが、真っ暗で黄色い眼で最初はちょっと抵抗があったカスパーヒェンのことが頭にあった。来夏のことは愛妻ダークマーと一緒に描いたばかりだ。でも、キャラクターを持つ二匹の雄猫たちのことも書きたいと最近おもっているので、それで、ペンギンをまた見たい、録画したいと思ったのだ。
 それから、もう6,7度以上は視聴し、録画も3度はしたマージン・コールだ。こちらは午前二時以降に見られるのデ、それほど見る気もなかったが、やはり優れた映画なのでまた新アソスで視聴してしまっていた。その間、ソニーで林扶美子の放浪記を録音していた。
 もちろん、こんなことをしているので、アソスを使っての創作などは停止したままだった。
 マージン・コールのあとで、すぐにはスイッチを切ることは不可能であった。スマスマをシュパイヒャーから開いて視聴していた。それで、また、味噌汁を温めて食べていた。やはり良い味がでている、まさに日本の懐かしい極上の味だと感じ乍ら食べた。
 NPで買った七面鳥は短期間では肉が苦手の私には食べきれないのデ、冷凍庫に入れた。その中には牛の生のハンバーグや生の七面鳥が入っているのが目についてちょっと参った。当分、肉などは買ってはいけないと思った。安くなっても結局食べないのであるから。
 牛肉のミニステーキとかソーセージなどはそれでも食べれるが、生のものはタレとかソースが良くなければ喉を通らないから。
 やはり味噌汁にはマグネシウムが入っているのに違いなかった。午前四時には眠気に負けてベットインした。
 それから、真夜中過ぎに目が覚めたのは、腹水のせいだったと思う。胸苦しくなりそれで横になっていられなかったのだ。
 10:46 2024-01-20