蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

2024-01-20 土曜日 『ガ合戦』『生XXの狭間で』『キュス』同時並列進行?

2024-01-20 土曜日 『ガ合戦』『生XXの狭間で』『キュス』同時並列進行?


 風は強め。午前9時半に起床。薄明るい曇天。うっすらと陽光も南から滲み入るようだ。外気温は3度。書斎窓辺の室内気温は14度。
 どうしても胸周りが冷えるのデ、凍えを感じるので、ダークマーが使っていたグレーのチョッキを着衣している。下着、ジャージーを二着、チョッキ、そして紺青の良い布地のガウンで上半身は固めている。5種類のものを重ね着していることになる。下半身はパンツにパジャマ?とジャージーで三着だ。


 バルコニーの虫除けの黒い網が揺れているし、遠くの松の常緑の葉と枝もゆっくり上下左右に風に弄ばれている。
 この寒い風の中、土のなかに横たわるダのこと、外を歩き回っていた黒猫カスパーヒェンのこと、また地下鉄で挨拶したわたしを茫然と見ていた後ツェさんのことなどが次々に思いだされた。偶然、この小さなでもがっちりしたおばさんが地下鉄から降りていく仲間か知り合いに手を振って高い声で別れを告げているのを隣の車両にいたわたしが目撃したのだった。
 わたしもそこで降りなければならなかった。でも、すると後さんの眼にわたしの姿も見られることになる。でも、下りないわけにはいかないし、降りて反対方向にプラットホームを歩いて出るのも馬鹿みたいだ。だから、降りて、頭をさげて挨拶だけして、ドアの近くに立っていたこのおばさんを尻目に歩いて去ったのであったが、その時の彼女の表情は、無に近かった。なんでいきなりこの男に挨拶されなければならないのか、どこからでてきたのか、今の自分ともうひとりの別れのシーンをこいつはみていたのか、などなどその表情にはむしろ分析し思いあぐねているような鈍いものが感じられた。でも、挨拶ぐらいはしておかないと、あとで何を言われるか分かったものではないからわたしもしただけのことだった。


 『ガ合戦』を同時に書いても良いのかもしれないと思った。売れっ子でもないのにあれもこれもと手を出していると収拾がつかなくなるような怖れがあるのだが、だから、ドイツ人が良く言う、アインツ・ナッフ・デㇺ・アンデァンという、ひとつのことにより集中すること、それがスピードにも、作品完成と整合性にもつながると考えているが。でも、ガイド合戦に登場するエピソードが驚くべきキャラクターが脳裏によく、頻繁に浮いてくることも確かだ。
 これも、断片メモという形で同時並行で記述していくのは悪くはないかなとも思う。『2XX放浪記』とは世界がまったく違うので混乱することもないような気がするし。それが『日本レストラン』と同時並行ということになると、『キュス』と『愛来夏』のように近すぎて、類似、近似すぎてやはりもう一方の作品は書き進めないということになる。だが、22歳とガイド合戦は別世界だから可能かと思う。
 残念なことに、『生の狭間で』は『愛来夏』を執筆している時に、そのモチベーションが萎えてしまった。また蘇ることは十二分に考えられるが。……それは殆ど出来上がっているが放置しpっぱなしの『日本とドイツの』とおなじようなものなのだと思う。


 最後には風と共に去りぬとか、西村賢太作品のような、希望を未来に願い、見つめて終わるというものになると思う。11:31 2024-01-20


 石田衣良たちが言っていたように、文学賞には長編が多いと私も思う。だが、わたしにはすでに完成しているような短編がある。その発表の場も欲しい。自分への励ましのためにもモニター上ですぐにみられるようにするか、印字して手元に置こうと思う。主なわたしに該当する、というか目標にできる文学賞を。
11:52 2024-01-20


 エデカに行った。なぜか私の足は重かった。心臓冠動脈が詰まって血行があまりよくなかった22年の五月のことが思いだされた。それと林扶実子も心臓の病気で急逝している。心筋梗塞だったか、なんだったか……享年47歳だったという。わたしよりもちょうど20年間も若くして急逝したのだった。
 創作は、ロッテルダムへの車のなかでの会話まできている。が、石田衣良の言う通り、最大の敵である、自己猜疑に陥りそうになっている。こんなのでいいのだろうか、と。読者にとっては退屈ではあるまいかという疑心暗鬼だ。
 シュリンプㇲ入りの日清カップヌードルをこの時間に食べた。
 22:29 2024-01-20  


 半額のアーモンドチョコを一袋全部食べた。昨日はとてもこの甘いものを食べる気持ちにはなれなかったのに。
 林芙美子の『清貧の書』の録画録音をしている。芙美子の作品は意外とわたしの人生と共通点があるよういな気がしている。一作もこれまで読んだことがなかったのに。
23:48 2024-01-20


 続けて、これまで憧れとまではいかなくとも、関心が高かった「風琴と魚の街」の録音を始めた。高校生のときに、伊藤整の『雪明りの街』と同じく、この作品を聞きかじり、それで初めて他の学校では内容の違う教科書もつかっているということを知って驚かされたものだった。伊藤整の『若き詩人の肖像』はその後読破し、その書き方に好奇心を持ったが、しつこいとも感じた。ジョイスの影響だということも後でしった。が、今日までジョイスは一冊も一遍もよんだことがない。
 創作のほうはロッテルダムのドイツ人家族の家に入るところまで来た。
01:09 2024-01-21