蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

2024-01-23 火曜日

2024-01-23 火曜日


腹水のせいで胸に圧迫があり呼吸できなくて午前6時には起きだした。いま、コーヒーを飲んでいる。
07:25 2024-01-23


 夢


 狭いガラス板のテーブルに両の掌を伸ばし、その合わせた甲の上に重いおでこを載せて目を瞑った。眠ると言うよりは休むと言うためだった。すぐにこうやって休みたくなる。
 すると、もう夢をみていた。わたしには女子高校生のようなグル―ぷがこれからバスにのって出発という感じで、有り難いことに重いスーツケースはもう入っているのか、わたしはみていない。そのかわり同じユースみたいなホテルからでてきた他の大学生か高校生の女子たちがひとつ前のバスに乗り始めていて、どこの学校だろうと話し合っている。そこにはもうひとつ違う学校のやはり女子高校生のようなグループが後ろにいた。合計三台の関係もない学校のバスが縦にならんでいる。
 わたしは、自分の担当の女子たち、黄色とか白いブラウスなどが目立つ服装のかのじょたちに噂をされてますね、なんという学校の生徒かと、すると、わたしのそんな小さな声が前のグループの女子になんと聞こえたらしく
 「しましましま」
 ですかと笑顔で聞くのであった。どうも島島島と訊ねているよういだった。しかも、三台とも音楽関係の生徒のように、夢のなかのわたしは感じている。こんなにたくさんの女子生徒がしかも同じビジネスホテルのような簡易なホテルに、これから出発と言う様子で三台もいるかなと思ったところで目が覚めた。夢をいま、ほんの僅かな間に見たんだと思い驚いた。
07:49 2024-01-23


 文章だけを文庫本で読み、日記をかくという18歳からの日常は、今のわたしには、このときの喜び、楽しみなしでやることはできないみたいで、やはり刺激が欲しくなる。でないと鬱になりそうな気がしてくるから。なったことは一度もないが、曇天が続き部屋が寒く老後の財産はS/Michaに盗まれ、再度要求しても無視するというありさま。しかも、わたしの体は、歩くのにも老女からなにか、みんなに追い抜かれのろま状態だ。
 ツアーを徒歩でするときにお客は私の体調が悪いことにすぐに気が付いてしまうだろう。ましてや空港でドッペルデッカーの中二階に入れた重い荷物など運転手と40個も上げ下ろしはできそうもない。I村氏は、おれはやらねえよ、運転手の仕事だよとかわしているようだが、たしかに、わたしが手伝わなければ運転手が今度は空港様にバスの腹に入れてだしいれできる通常のバスを選んでホテルとか空港にやってくるだろうとも思う。わたしが手伝ってやってしまうから、それを見越して中二階にスーツケース倉庫のある酷いバスできてしまう。それは心理的にありうることだ。
07:59 2024-01-23


 小尿をし、コーヒーをその後で飲んでしまったが、つまりベットに横になってもまた腹水のために呼吸が苦しくて起きだすのだと思うが、正直また横になりたい。
 昨晩、そんなに水分をとっただろうかと今思いだそうとしているが、ビールでさえ飲んではなかった。もちろんワインも。これはどういうことか、腹水の原因が分からない。衣付の魚をフライパンで焼いて、まさに衣ばかりを食べ白みの肉の部分は残していた。あとは少々玉ねぎとかブロッコリーも同じフライパンで温めていたのを食べたが、水分はわたしの記憶のなかではそれほどとってない。ということは前日の水分が体に残ってゐるということなのだろうかと思う。


 ところでエアゴから封書が二通来ていたが、ひとつはアラブ人の侍医からの530ユーロの費用をクリヤーしたという報告だった。
 彼は、眼の下、涙袋のハンザプラストを二度貼り換え、テタノスの注射を一度し、もうひとつ何か注射しただけなのだが、それだけでこの金額というのはちょっと信じられない。やはりぼったくりという感じだ。
 日付が12月の21日になっていたが。
08:20 2024-01-23


 八時を過ぎて流石に明るくなってきた。相変わらずの白い曇天だが。風は凪いでいる。昨日と比べて。外気温は五度だ。
08:21 2024-01-23


 体のコンデションがおかしい。小尿のためにトイレにたち終えたあとも結構体全体で呼吸しているざまだ。これはやはり冠状動脈が詰まっているということだとしか思えない。
 愛妻ダークマーはステントの手術のあとで、心臓ペースメーカーの手術もほぼ同じ日に行われ、それで息絶えてしまった。煙草で体を侵されていたし、だいたい体のコンデションが悪すぎたのであろうと今では思う。
 それでも67歳だったから、来夏のお蔭でおそらく予定よりも長生きできたほうなのかもしれない。もちろん、わたしが馬鹿なせいもあって、遅くなってから帰宅したことも大きく関係していると思う。マレフスキー婦人とは電話で話をしていたということだったが、それが何時頃のことであったのか、それを知れば、何時からダークマーが心筋梗塞で倒れていたのか分かるのだが。その電話番号ももってないし、彼女は相当な肥満体であったし、私と同じ糖尿病でもあったから、もうこの世にはいないのかもしれない。もうあれから11年経過している。
 でも、わたしはダのこと、来夏やサッシャ、カスパーのことは忘れていない。みんなわたしに拘わった大事な伴侶だった。
08:36 2024-01-23


 体調が悪い。Þりょっと廊下や厨房などを歩いていれば平常なものになると信じていたのだが、書斎に佇んでいると、ベットに戻って倒れ込みたい衝動に駆られた。だが、横臥した後で再びふらふらして元の木阿弥になる可能性もあるので、椅子に座った。座るのは悪くないみたいだった。


 食べてないからエネルギー不足で体調委がすぐれないのだろうかとも考えたが、今朝、深夜に魚の衣を食べている。もしかしたら昨日まったく薬を飲んでないのデそれが原因だろうかとも思った。だが、分からない。
 心臓ペースメーカーがなかったら気を失って、誰にも気づかれずわたしも死亡するのかもしれないと思った。
 クリニックの玄関では、まったく気分もなにも悪くならない状態で、簡単にすうっと意識を失っていた。
 それはペースメーカーのお蔭で自分にはないと思ったが、もう空港からバス駐車場まで400mスーツケースをおしていくのは私には無理だと思った。歩くだけでも怪しいのだから。
 サーヴィスでお客のスーツケースを押して言って意識を失い心筋梗塞で転倒し死亡するのはちょっと不味すぎる。まだ、書きたいこと、書かなければならないことがあるのだから。それを書き終えるまでは死ねない。ましてや誰もわたしに押していくのを頼んでもいないのに、それで死んだら「手前が悪いんだ」とか「そんなんだったら、なんで荷物を押していたんだ、馬鹿かお前は」と死んだ後も罵られるような気がする。ましてや押してもらった人は、自分に責任、良心の呵責のようなものをなすりつけられる様で、気分を害してしまうだろう。だから、I村氏が言うようにやる必要はねえということになろう。
12:15 2024-01-23


 今日は創作を続けたい。21日の昼で終わっていたから。
13:12 2024-01-23


 コーヒーはのんでしまい、8条のために露yクチャものんだが、8条の薬のために緑茶も飲んだ。だが、やはりまだ睡眠はひつようだし、横臥をとらいすることにした。
 いつ頃ベットに入ったのか記録しなかった。起床は午後4時半だった。体のコンデションが少し恢復したような気がする。
 それから、不快感、嘔吐感も少し、そしてベットに倒れ込みたい衝動があったその原因は貧血なのだと漠然と今は考えている。でも、ブルートフズィヨーン輸血はもう経験したくない。どんなウィルスが潜んでいるか分からないし、冷たいし、他人の血だ。そう思うだけで気持ち悪くてしょうがない。
16:44 2024-01-23
早いものだ。時間の経過は。ウルツンへと章のタイトルを書いて、ぼんやりしていたら、もう一時間経過してしまっていた。これからベットインしようかなと思う。今朝のような腹水は大丈夫だと祈りながら。ぜいぜいはあはあは結局貧血から来ていると思うが。


02:02 2024-01-24