蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

2024-02-02 金曜日

2024-02-02 金曜日



朝まで眠れなかった。午前八時には諦めてベットから降りた。寝そべっていてももやもや頭のなかにいろいろな妄想が湧くだけでいっこうに眠り込めないのだからこれは起きるしかもうなかった。
 ただ、心配なのは、三日間近くも碌に寝てないということで、これが行き成り災いとして私に襲い掛かるのではないのかという不安だった。無意識に陥り、そのまま死んでしまうと言うこの世の去り方だ。
 すでに、一度22年の5月に一つステントの留置手術が終わった後で、クリニックの玄関口で、さて、これからどうやって帰宅しようか、どこにもタクシーはみあたらないし、近くに地下鉄などは来ているのだろうかと思いめぐらしていたら、いつのまにか意識を失っていて、『生死の間を彷徨う』という状態になっていた。二度わたしは死んでいた。蘇生作業のお蔭で息を吹き返したということであったが。
 あの時、死の世界に入るとき、わたしは痛みもなにも感じなかった。そのままするりっとあの世に滑り入ったようなごく簡単なものだった。


 ところで、朝の八時に妄想を見ていた。それが西洋梨型の頭の、髪の殆どない中年で私と同じぐらいの背丈の、顔はむしろコメディアンに近い奴が、わたしと妻とスベの朝食か昼かのレストランに同席していて、目の前でわたしの妻をしつこく口説いている妄想だった。これは、実際にパリに安い旅行をグループでしたときに、若い二人の陽気なドイツ人たちがわたしの妻を口説き、となりの夫のいる女性にも良い気になって笑い話のようなものを頻りに話して笑わせ、最後は妻の住所をわたしの目の前で聞こうとした実体験があった。それが40年近くも経過した今になってあたまのなかでもやもや噴出している。なにをやってるんだと自分の脳にクレームをつけたい。考えること、他に脳の使い道がいっぱいあるだろうと自分を諫めたい。
16:01 2024-02-04  


 眠れないのデ午後4時にはガロのcsを一杯だけ飲んだ。何も食べずに飲んだので、胃にあとで痛みを覚えた。
 ところで鉄剤を嚥下するようになってから、食欲が消えた。食欲を忘れたという感じだ。これも、あまり良いことではないと思う。
 睡眠不足で栄養不足となると、どこで倒れるかわかったもんじゃないから。
 16:06 2024-02-04

2024-02-01 木曜日

2024-02-01 木曜日


 就寝はもしかしたら午前2時45分あたりだったかと思う。起床は7時半だった。五時間近く眠れたことになる。もし就寝時間に誤りがなければだが。


 ところで昨日の食事量は少なかった。エデカで薬局に行って鉄剤を買った後で、入り、ホウレン草を二袋、ロイボス茶、値段の下がった細長くシャープなビッフィなどを買って、帰宅するとすぐにほうれん草を茹でて解いた味噌汁にまぜて食べた。結構腹が張るのを感じた。それから数時間後に再びホウレン草、卵一つをいれて食べた。ビッフィも数本齧った。それだけだった。
 今朝はさっそく一錠ferro sanol duodendalを一錠嚥下した。食前1時間前という飲み方も書いてあったからであった。
09:09 2024-02-01

2024-02-31 水曜日 鉄剤使用開始

2024-02-31 水曜日 鉄剤使用開始


 鉄剤購入と使用開始。食後二時間に薬を嚥下ということで60歳以上は日に3錠ということであった。
 二錠ぐらいの嚥下ではどのくらいの効果があったのかまだまったく早すぎる話しである。だが、飲んだという思いが、精神的に新しい心の支えと希望を与えられた気分であることはたしかだ。
 相変わらずののろい動きが書斎の椅子から立ち上がって6,7mほど便座に移動し、蓋を開けおしっこをし、蓋をし、手を洗い、戻ろうとするだけなのに、もうはあはあぜいぜいという呼吸をしていて、それが治ってはいないが、まだ始めたばかりだからという気持ちが、ポジティーブなものを感じさせてくれる。


 メールを見てヴィーンからは、確定したかどうか、2月の2日の仕事なのに来てないので、流石にメールを書いて催促した。自分で引き受けることも可能かもしれないが、相変わらずのよろよろに近いのろのろな歩き方であるので、できるならI村氏に回したいので、彼だって仕事の多い人なので、引き受けられないかもしれないから、早く知りたい。やはりその場合には私自身が引き受けなければならないかと思うし。


 睡眠をとるのは非常に大変だった。ジャージを畳んでガラス板の机の縁に引き伸ばし、その上に肘を横に伸ばし、併せて手の甲や腕の上に頭を乗せて寝ようとしてみる。ベットに横になると腹水のせいなのか、貧血のせいなのかわたしには良く分からず、横隔膜と肩で呼吸しなければならず、再び座しながら眠ると言う、サッシャやカスパーヒェンがやっていた自分の手枕での睡眠をトライするのだが、もう三日間もまともに睡眠はとれてないのに、それでも眠りに落ちることが出来なかった。
 貧血というか、鉄の薬剤を嚥下しているので、それを無駄にしたにためにも、極力ビールもワインも飲んでない。
 これだけ寝てなければ椅子にすわったままとろとろと船をこぎ始めてもおかしくはないのに、それもほとんどない。
 なにも、できない感じなので、『美味しんぼ』をYTで数時間視聴録画して時間を過ごした。
 なんか、日記でさえもかけない感じだった。
 芙美子の『放浪記』をモニターで読む気力もない。このアソスもスイッチオフの状態のままだった。つけてあるとプレッシャーをさえ感じてしまうからだった。普段はなんでもないのに精神的な圧力をオンのモニターから感じてしまう。


 体がよろよろだと、本当にわたしの最後、晩年も晩年という気がして来ている。そして経済的にもどんどん苦しくなってくるし、そうなると、健常者でもなく、死期がちかづき、金もないということで総崩れという感じだが、それでも、貧血と腹水がある程度解消されることを願い、仕事がある程度入ってきて、経済的にももっとましな状態になることを思うのだった。
 期待できると思う。もちろん、創作も続ける。
08:57 2024-02-01

2024-01-30 火曜日

2024-01-30 火曜日 


 腹水がそんな酷くはなく、やはり貧血のせいで胸苦しく、肩と横隔膜?で呼吸せざるを得なくてなかなか眠れない。ただ、今朝は2時間は睡眠をとれたのではないのかと思った。
 そのあとも、非効率敵に、狭いパソコンの二機置いてあるガラス板の机に両手で枕を作って眠ろうとしたが、5分も眠れなかったと思う。ひどい睡眠不足が続いている。
 06:32 2024-01-31


 SyさんからメールでI村氏に交代して貰ったことを書き送ったあとで、メール連絡が来て、短くても良いから電話をして欲しいとあった。電話では順序だてて語るのは難しいと思い、長いメールをドイツ語で書き送ることになった。それにたいして同じように長いメールが帰り、それからまたわたしからメールを書いて送った。S.M。はあきらかにPsychopathだということも言わざるを得ないことだった。 しかも、4500万円相当の財産を盗んでシラをきるという態度を変えない。
06:40 2024-01-31

2024-01-29 月曜日

2024-01-29 月曜日


 土日から殆ど眠ってない。ベットに横になるが、横臥も仰向けも同じようにできない。
 貧血なので、心臓とか肺臓がより頑張って肩と胸を拡大拡張して呼吸とかなさねばならず、それでベットに横になってなどいられないのである。息苦しい。
 唯一の睡眠のとりかたは、座して、机の上に掌で枕を作るか、腕を枕にして目を瞑って寝ることだけだ。
病院にでも言ったら、プライベート保険なので、自己負担になる。全額。おまけに輸血ということになるだろう。アルコール中毒者とか、自分の血を売って金を貰う人の血がわたしの体にいれられれるなんてできないことだ。生理的拒否反応が起こりそうだ。ましてや冷たい血液で、病院のベットに横になると言うことにもなる。金ばかりがかかってしまう。収入がないのだから、やっていけない。
08:36 2024-01-29


 今日も不調とだ。でも、カフェインの緑茶と食事時間はずらしたりしていたこともあり、再びベットに入った時に短時間だが眠れた。仰向けはむりだが。でも、そんなに早く結果があらわれるとはおもわれないので、これはわたしの希望的観測、偶然の良い結果だとしか思えない。
 相変わらず歩く速度はのろく、薬屋にもでられない体調いだ。


 呼吸は相変わらず肩と大きく胸を揺らしてしなければならないし、気分が悪い。嘔吐とまではいかないが、ふらふらに近く倒れ込んでしまうような怖れも感じる。
 でも、金のかかる医者にはいきたくはない。輸血もされるのに違いないし。
20:30 2024-01-29
 20:28 2024-01-29