蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

2024-01-22 月曜日

2024-01-22 月曜日


 私がまだ若いころには本当に三島張りに文体に、文学的表現と思われる文章に拘っていた。だが、それも、四〇年間のドイツでの職業生活で消え失せてしまったという感じだ。
 いま、林芙美子のウィキの紹介を読んでみて、詩作で彼女が始まっているのを知り、自分の最初の文学的な体験もそれに似たものだったと思った。彼女の場合にはそれが持続して名作を残したのだが、わたしは、俗人となり、でもそれに代えがたいダークマーとの愛情生活を生き体験することができた。しかも、二〇二二年の五月にはクリニックの入り口で二回ほど死亡していたが、蘇生させて貰い、第二の生を受け、しかも、コロナと円安のせいで俗的な仕事から遠ざけられている。だが、収入はなく、貯蓄していた4500万円の財産もスン・ミヒャエルズとその妻アンニャによって盗まれたままの状態で今日に及んでいる。金庫から盗まれすでに11年経過している。盗んだことを指摘し、犯人のスベンは降参してもおかしくないのに、盗んだまま返金をしようともしない。驚くべき鉄面皮だ。徹底的などうしょうもない犯罪者だ。一昔前だったら、暴力をふるえるものを雇って返すまで殴ったり蹴ったりさせるのであろうが、わたしが逆にやられるような感じになってしまっている。


 I村氏には半分冗談から八幡太郎義家と自称しているが、円安と冬季ということもあり、なかなか経済的には恢復は見込まれない。
 Ergoから二通の手紙が来てひらけなかった。怖くて。3500ユーロ払えという要求にしか思えなかったから。だが、内容は有り難いことに違っていた。去年の12月にアラブ人の侍医に見て貰った簡単な、ただプラスターを貼り、テタノスの注射を打ってもらっただけなのに530ユーロほどの金がとられたという報告だけだった。最初はひと月分の金額とまったく同じ額なので、そのよくわからない必要もない連絡かと思ったが、その額を侍医は要求して保険会社が払った、といってもわたしの負担が3500だが、というものであった。
 I村氏の、保険料金がただであるという話が滅茶苦茶羨ましい。
 00:56 2024-01-22


 午前11時15分胸や腹がちょっと苦しくて目が覚めたよういだった。やはり海苔巻きのせいだとわたしは疑っている。


 銀を部屋の北側にある二、三の段ボール箱をあけてチェックした。すでに検査済みであったが、やはりなかった。覚えはないが、部屋の角に積んだ箱のなかにあるとしか思えない。それを運んで開けてみるのはまた体力のいることだ。運動は良いはずだが、心臓の悪い私の場合は、どの程度まで動けるのか、動いていいのか良くわからない。数日前にエデカを往復した時、次々に道行く人に追い抜かれていった。また、歩くのがのろくなった。どうしてだろうと思った。心臓の冠状動脈のステントが詰まったとかということなのかと疑いたくなった。帰宅してその晩は赤ワインガロのCS、を飲んでみたが。


 外気温は9,10度ほど。ただし、風が強く、近くをジェット機が飛んでいるのかとさえ起床後には思ったほどだった。空高く飛行機が飛びもするが、音などは通常聞こえない。曇天の場合はもちろん飛行機雲でさえ見えない。スマホをみれば風の強さも表示されるが、そのためにだけスイッチを入れようとも別に思わない。
12:50 2024-01-22


15時45分 大豆などの残りや魚の白身の入ったご飯を食べた。雑炊という類のものだろうか。薬は昨日も飲まなかったし、今日もまだ飲んでない。一週間分を作ってないからだが、体に休憩を与えた方が良いような気がしているからだ。


 ずっと、林芙美子作品の朗読に耳を傾けている。一種の読書だ。普段から本を読まないので、表現力も大分衰弱していると思えるので、読書はやはり必要だし、彼女の作品は感情移入できるということが一番肝要なことだし、有り難いと思う。
16:02 2024-01-22


 中央大学の編纂、宮沢賢治を視聴し、浮雲を続けて録音した。


 ごちゃまぜの雑炊を食べたのはもっとずっと前だったと思うが、もうわからない。昨日だったような気もする。


 体重が再び増えたのデ歩くのが鈍くなったのか、sれとも冠状動脈がつまってきたので、のろくなったのかわからない。ちょっと減量も考えたりして月末まで考えなければならない。
 林芙美子は林真理子に言わせると自分のよういに食べるのが好きだから太りもし、心臓麻痺をおこしてしんだのだということだが、47歳。わたしよりも20年もわかくして。中原中也は音声だけ100分でシリーズが放映されていたが、彼は37歳で亡くなっている。わたしよりも30年間も早く。


腹水で今朝も十分に眠ってなかったせいだろう、横になりたくなって午後11時にはベットインしていた。午前4時頃には目が覚めタブレットで西村賢太と石橋のインタビューを視聴し、もう暗唱できるほど行くとも視聴しているが、それから司馬遼太郎を視聴し、午前6時には腹水で横になっていると呼吸が苦しいのデおきだした。
 もう火曜日の早朝だ。
07:05 2024-01-23