蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

おそらくは、職業病

ネットでなかにし礼について一昨日はいろいろ視聴した。
驚いたのは癌という死病にかかりながら、医者も自ら選び生き延びてきたことである。もう80歳にもなるということで、勝利したといえるかと思う。わたしにとっても、これを読む人のなかにはフザケルナという人も出てくるかもしれないが、70歳を越えられたら、勝ったとわたしは今は思っている。


なかにし礼の作品で『夜の歌』という作品が眼に入った。これがきっかえになって日本の書店に徒歩で行くことにもなった。あるくのは健康にも良いという計算ももちろんある。
しかし、結果は残念ながらすでに中古のコーナーにも置いてなかった。眼の、趣味の肥えた人が他にもいて、買われてしまったということになる。
又吉のエッセーも売っていたはずだった。だが、二回チェックしてももうその場所にはなく、やはり誰かが買ってしまったということになる。すると、店の主人が、売った覚えはないんだけれどとぼやき始めた。ということは万引きをやられたということになるが。


本を探しているときに、白い小型のモニターが店主の机の角に見えた。コンピューターなんですねと訊ねると、彼が違うことを言葉すくなに答えるので、続けて小型のテレビだとわたしは言ってみた。退屈を感じるときには彼も書籍ばかりを読まずにテレビも見るんだと、ひとり決め付けた。すると彼がちょっと言いにくそうに監視のためとぼそっと言った。監視と言っても、スイッチがついてないあまり意味がないんじゃないですかと彼に笑いながら言うと、怪しいと思える人が小部屋にはいるとスイッチをいれるといっていた。なるほどと思ったが、ちょっとぞっとした。わたしにもそんな嫌疑がかかっていなければいいがと思ったのである。
新刊本が盗まれてしまうんですかね、やっぱりとちょっと不快感を感じ始めながら言葉を続けると、ほぼ同時に漫画が良く盗まれるし、美術などのアートの豪華本が盗まれるというのであった。
わたしはそんな大判の重い本がどうやってとおもい、しかし、そんなことがどうやってと思わず彼に聞いた。背広、コートの下に隠しいれて、そして店を飛び出していくのか、そんなことができるのかと驚いたからであった。
すると、鞄にいれて持っていってしまうと主人は答えた。なっ、なるほどと思った。本屋の主人も大変なんだなと、その利潤の少ないのを想像して同情した。
そこで、自分も黒い鞄を愛用しているのを思い出し、わたしは、変に疑われないように主人の近くに置かして貰ったり、白い藤テーブルの上において、それからゆっくり古本を眺めて歩くことを話した。当然、彼も知らなければならない私の態度だと思っているからである。
彼はあまりそんな私の立ち居振る舞いも感知していないのか、いなかったのかよく判別できない顔をわたしにむけるだけだった。
中国の諺に桃李の木の下では冠束を正すなかれとかいうものがあったはずだと思い出し、それを彼に言ってみたが、やはり大した反応も示さない。
この人、わたしを疑ったこともあるのではないのかと不快な気分にわたしはなってきた。
わたしはさらに問わず語りに、そんなことをしたら絶対にもうここに来れないから、できないという言い方を彼にした。彼の疑惑を消すためにとっさに言った言葉であるが、やるきがわたしにもあるが、それをかろうじて抑えているようなふうにも聞こえてしまっていると言ったすぐあとで思った。
古本ばかりをわたしは買ってきたので、古本を盗む人もいないでしょうとさらに言葉を加えたが、じゃ、新刊本だったらあなたはどうなのかと思われてしまうような気持ちにもなり、なにを言っても猜疑心を消すことは不可能かと思った。
すでに二冊も持っている同じ題名の古本を買って帰路についたが、まだ書店の主の態度が頭のなかに残滓していて掻き消す術もないという感じであった。


道中さらにもやもやと上がってきた情景は、磁器で有名な街の近くの採掘現場に行き、日本から来られた百貨店の数人のために通訳をしたことがあった。作業と説明をする現場の中年の男性がどうぞ手に持ってみてくださいと言うので、それがしっとりした湿り気があり、内側は硬いが外側は指で触れると少しづつ白い表面が快く崩れるのだった。記念に持って帰ってもいいですよと担当の人に言われて、でも、入れ物がないと思いながら、デパートの人たちにもそのことを言うと、その表情はすでに「もってては駄目、盗んでは駄目だよ」という歪めた顔に豹変していた。もってって良いといってますよと言っても、彼らはいやったらしい表情が何度も顔にあらわされ、仕方なくわたしは手に握っている磁器の陶土を手から落とした。
同じように、ただで置かれているパンフレットを眺めて、もらっていこうかと思っているときに、ふと視線を感じて背後を振り向くと、この都会に存在する百貨店の男の店員二人がじっと見詰めていた。わたしはたくさんのお客様をお連れして、店も潤っているはずなのに、店にくるものへの猜疑心はもう本能的なものなのだと思った。


そのあとで、バラックみたいな中華の店に入って、久しぶりに鴨料理、鴨肉に衣がつけられ、油で揚げたあとで輪切りにしてヌードルのうえに載せてだすというものであるが、半分も食べないうちにもう喉を通らなくなった。