蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

おそらくは、職業病(続編)

料理、といっても決まっていて、衣を着けて油で揚げて輪切りにするというものに限定されているが、それは妻の大好物でもあった。
この日は半分ではなく三分の一も喉を通らず、包んでもらおうかとも思ったが、それを言うのも気が引けて、そのまま眼の前にして姿勢をかえて胃の臓腑から小腸のほうに流れてくれるように工夫してみた。厚着をしていた、上の衣類は革ジャンが一番うえだが、そのしたの三枚はズボンのバンドのしたに入れて絞めていた。たぶん、それも関係しているのだと思ったし、節約のためにドリンクを注文しなかった。それもあったと思う。
さきほどの終了は、途中半端であったが、逆にあの終わり方のほうがいいものになっているような気がする。
こちらは種明かしっぽくなる。
ドリンク無し、無理やり上の衣をバンドのしたに入れていたきつさもあり、また前屈みになって食べていたこともあったと思う。
結局、バンドを弛め、ファスナーも降ろして、座りなおし、ベトナム人の調理師にパックしてくれとは言えないので、時間がかかっても頑張って食べることにした。そとを歩く人たちを見ながらゆっくり食べるのもちょっとわたしとしては変わった食べ方であり、悪くはないだろうと思ったからである。
いつのまにか、ですます調ではなく、自分のためにいつもかいている調子、単調な書き方、モノローグになってしまっている。だ、である調になっている。それでもいいかとか、そんな風にも居直る気持ちにもなっているけれども。