蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

倒れるまで働く

自営業を営むわたしは、その職種のゆえに倒れるまで、死に至るまで勤務しなければならないのですが、言うなれば自業自得であって、でも、誰かに言いたくなってついつい書いてしまいますが、それが日記というものなのだと思います。日記にとっては迷惑でしょうが。ただ、この公表日記となると、性格がやはり違ってきてしまいますよね。
今度は、読む人がいらっしゃるということを想定して書くことになります。これって本来の日記の形だろうかとかまた躊躇いがでてしまう。でも、それもいろいろな解釈の仕方があるので、わたしは自分のこれまで書いてきた書き方で書けば良いのかもしれません。


それは、ごく当たり前の自分の周囲のこと。仕事や隣近所の話とかにやはりなってしまうのだと思いますが。また、自分が読んだ、視聴した本や映画やドキュメントの話、そんなことになってしまうのかと思います。


あまり寝ていないのに、また妙な時間に目が覚めて起きた。自由業、フリーランサーというのはそんなものかと思います。酒に強かったり賭け事が隙だったら無頼派にわたしはなっていたかもしれません。


武田泰淳の奥さんが書いた日記が三冊の文庫本で販売されている。日記なんか他人のものを読んで面白いだろうかと思いながら、それまでにも何度か手にとって拾い読みしましたが、やはり自分の残り少ない寿命の一部を使って読むだけの価値があるとは思えずにまたもとの場所に置いてきましたが、この公表日記に匿名で書き込むようになってから、といってもまだつい一昨日のことですが、買ってもいいかなと思った。
カフカの日記は持っていますが、これはカフカの研究者にとっては非常に興味深い本だろうなというような感想しかもてませんでした。といいながらひところは彼が創作で苦しむ部分とか、隣近所の人のことで迷惑を受けたりという部分は感銘をうけて読んでましたが・・・・つまり、移り気なのです、わたしが。・・・という結論に達します。


このムラゴン日記には日本時間で投稿公開時間がでてきますが、こちらは8時間まだ遅れていますので、まだ朝。