蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

きちんと文学作品の創作に向かいたい

星の王子様の作者で有名なサンテグジュペリに、母国語であるフランス語がおかしくならない様に外国語を学ぼうとはしなかったという逸話がある。そのことを日本いた頃に知っていたらわたしは外国にでなかったと人に語ったことがある。
T女史がドイツ語で小説を書いて出版しているということであるが、ラジオでドイツにおける文学賞を得た彼女のドイツ語でのインタヴューでは、片言しか話せていなかった。A賞を受賞したあとでも、森鴎外の記念館でドイツ語の質問を受けたときに、「アー」「ヤー」とか赤ちゃんのように繰り返すばかりで、該当するドイツ語も見つからないという有様であった。こういう人がドイツ語で作品を自分は書いていると公言している・・・これは驚くべきことだとわたしは当時思った。つまり虚偽ではないかと思った。すると、一緒にそこにいたTIは
 「ドイツ語の文を書くのにドイツ人に直してもらうのは当たり前だよ」
 と怒ったような強い言い方を私にした。
 「でも、それでは自分で執筆したとは言えないじゃないですか」
 と反論すると、
 「みんな、やってもらってるよ。あったりまえのことだよ」
 と断言していて取り付く島もなかった。おそらく大学の論文とか最終的にドイツ人にチェクしてもらって、それで、自分の名前でだしているし、それのどこが悪いんだという気持ちなのだろうと思った。


 わたしは、ドイツ語でも書けるんだよと、別に主張をしたい気持ちもないので、このサンテグジュペリのように日本語でやはり勝負したいと思う。翻訳は母国語をドイツ語とするオーストリア人とかドイツ人にお任せでもすればよいと思う。


 3月の締め切りの公募文学賞には大変重要なものがあるし、しかも多い。わたしは何も書けなかった。脳裏の奥には幾つも書きたいテーマがある。しかし、なにも完成していないし、進捗さえしていない。
 仕事から返ったらすぐにビールでもかっくらって寝るのがいいのかもしれないと思う。そして早朝3時ごろに起床して、そのまま執筆を試み、職場に向かうというのがいいのかもしれないと思う。
 また、日記を垂れ流しで書くよりもきちんと文学作品を執筆するべきだと反省もする。
 簡単な道は存在しない・・・・・