蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

危機

2018‎年‎03‎月‎11‎日 ‎日曜日


起床は昨夜10時半ごろにもボーンのアイデンティティでも目が覚めたが、そのままテレビは点けっぱなしで、横になって寝続けた。ビールはのまなかった。もともと好きではないから、私とビールの前にはこの本来すきでもないという気持ちを乗り越えなければならない低い敷居がある。
 コーラばかりをのんでいた。昨夜は冷凍野菜をいれたインスタントラーメンを食べたくなり、電子レンジで20分間セットして、それから最寄のスーパーに行って買い物に行った。カスラーの肉も買った。これはスライスしてやはり電子レンジでそれだけ2分間ほど煮たり、ラーメンに入れたりするのにてきしているのでカートンにいれた。それと缶ビールの一番やすいのを5本も買った。毎日一本は飲むためである。なぜか缶ビールの数が少なくしかもみんな冷蔵のガラスの大きな戸のなかに入れられている。ドイツ人たちは瓶ビールが圧倒的に好きなのであろう。わたしは、こちらの衛生をあまり信頼していないので、瓶ビールは買わないことにしている。どうしてもというときには、瓶があたらしいものであるかどうか、白い瓶同士がぶつかって損壊している僅かではあるが傷がないかどうかそれをみる。わたしの頭のなかには、煙草を吸う人が灰皿代わりに瓶のなかに吸殻を入れる様子が思い出されてしょうがないし、店のなかでもビールのグラスを逆さにしてたわしの中にごしごしいれて二三回しごくだけで、女性の口紅がべっとりついていたのも実際に目撃しているので、仕事の仕方が大雑把で粗野なこちらの人たちを知っているので、ビール瓶が果たしてきれいに洗浄できているかどうかというと、わたしは根がティーブにしかみられないのである。


 つぎに目が覚めたのは6時半ごろであった。テレビはスイッチが私自身によっていつのまにか切られていた。


 朝方最寄のスーパーで日本から来られたTさんのためにハニータとYさんのためにもビスケットを買って会場に行った。すでに7時15分ちょっと過ぎには催し会場の私たちの部署に私だけが到着していた。そこにAさんもやがて来た。かなり遅れてRもやってきた。つまり遅刻であった。だが、彼は別にすまないという態度でもなんでもなく、着替えもゆっくりというものだった。そばを通って気がついたことは、今朝はシャワーでも浴びてきたのかなと感じたことであった。臭いが弱くなったような気がした。ただ下着は何日間も取り替えていないのか、数時間もすると立ち上がって回りに充満しはじめているようだった。わたしは殊更距離をもって動いていた。


 昼食にはRは12時になるとすぐに消えた。そしてまる1時間時間をとって戻ってくるのであった。そして交代にわたしが45分間ほどかけてぶらぶら座る場所もない、たったままでスーパーでかったミニサラミとかナッツを齧って、炭酸水をペットボトルから飲むという不健康な食事をして戻るのが二三日の習慣であった。
 が、Rが戻ってきて、緑の服も上に羽織っていて仕事をの体勢を整えてでてきているのに、ふたたびうしろのほうにいってしまい知り合いのひとといつまでも話をしている。彼の会話というのは無駄話がおおく、自分の体験なども交えてながながとおこなうことが多いのであるが、このときもそんな感じであった。もう1時10分を過ぎていた。それで自分からYさんにそれでは食事に言ってきますと一言言って、それで済むとおもうと、戻って着たらねと条件を出されてしまった。Rはとうの昔に戻って私たちの前に姿を一度現している。だが、後ろのほうでまだ無駄口をたたいているという様子であった。それで一言言葉を掛ければすぐに部署についてくれるであろうとおもって、その背後にはわたしたちの荷物の置ける場所などもあり、すぐに済むとおもっていると、まずそこに私の知り合いの小さな食べどころという店のおばさんがきていて挨拶を求められた。1,2分で終えてタテでしきられただけの、ただし一応ドアのあるなかに入って食料の入っている黒い鞄を取り出し、会場用の上着を脱いで、黒い人工皮革のジャンパーをきてでてくると、まだそこに笑いながらRがいて話を従業員としている。持ち場ではこちらを二人の上司が見ている。それで小さな声でRさんが戻らないと私がいけないんですよと言った。
すると、行ってください、と馬鹿にしたような笑い顔で言った。人事のような調子である。いや、Rさんが戻らないと駄目なんですよというと、だから行ったら、と再び人事のような、言い方でもあり、彼に決定権でもあるような言葉使いであった。部署にドイツ語のできるものがいなければならないのに、この50歳を越えた独り者は平気でほとんど嘲笑を交えて言葉だけで簡単に返してくるのである。そのときにわたしの頭の中ではこの面を殴りつけてやりたいという気持ちが込み上げてきた。不思議なことに私は自分の怒りに膠着した顔がはっきり見えた。ほとんど体も一歩とはいかないまでも半歩前に突き進んでいた。それからこのいい加減な男が顔をそむけたのか、そのえへら顔が一瞬とまったのを見たのでわたしがその場をさって食事の場所をさがしてでたのか記憶に無い。怒りがあまりにも大きく脳裏には彼の顔を私の右手が打ち込まれている映像が流れているので、思い出せないのである。それだけその次の瞬間の気持ちが大きかったので、その直前の一瞬がどういう反応であったか影になっていて思い出せないのである。衝撃とはそんんあものかもしれないとおもった。あとから想像して継ぎ合わせえても、それはぼ補充的な仕業ではないかとおもう。もうあの面もみたくないとおもった。また、わたしのこのときのことを日本から来ている人に、わたしがミニサラミとか齧っているこの瞬間に奴が誇張して吹聴しているかもしれないとも思えた。こんなときには早く気持ちを落ち着けて何事もなかったように日本側の人たちの望むように仕事をすすめ打ち込めばいいとおもった。


Aさんがかえってくるとわたしの近くにやはりよる感じになり、今日で自分の雇用が終わるという話をしていた。いや、それどころか日本にいってしまうという話もしてくれた。帰ったら帰ったでまたこちらが懐かしくなるかもしれないと私も言ったが、それは彼女も想像のつかない感情であった。‎2018/‎03/‎11 7:42:19