蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

6月のムラゴン日記のアクセスはYチューブを遙かに超えて

6月のマンスリーアクセスという統計に個人的に驚愕してます。なんと319回も見に着てくれた人がいたということで、これは私が別に作っているYTを遙かに超える頻度です。
YTのほうがもっと見に来てくださる人が多いと信じていたのでしたが、結果はこちらのムラゴン日記のほうが多数で、ちょっと信じられない結果でした。
私の日記を読まれる方々がそんなにいらっしゃるの? と狐に騙されている気持ちです。


ここには作品を殆ど発表してませんが、これから考えてしまいます。撮影も掲載しなくなりましたが。これはなにを、自然は好きなのですが、それ以外で載せて良いような、あまりアイデアが浮かばないし・・・・


日記はやはりここにすべて最初はぶちまける積もりでいましたが、やはりそんなわけにはいかないという気持ちに落ち着いています。やはりおおやけという性格がこういう日記にはありますので。

有り難いことに脳裏で展開してくれている。

明日また仕事が入っている。難しそうな仕事だ。しかも二人で組んで行うことになっているので、その辺の摩擦ももちろん発生するはずだ。勝気な人と一緒にするので、傷つけられるのはもう前もって予測できる。
今日はどうするかというと、YTを続けて造ってみるかとぼんやりと考えている。バルコニーにたまに小鳥が訪ねてきてくれる。それがこころの慰めにもなる。


いま、念頭には、仮題『アンフェア・プレイ』と『初恋の少女を慕って』の二作が浮き上がってきていて、本人としてはちょっと安心している。まだ浮上してくる創案があり、残念ながら机上にさえ行かないで、脳裏に存在するだけだが、自然に話が展開してくれているということを確認できただけでも嬉しい。


天気が昨日と今日と悪く、外気温も16,7度と落ちてきていてちょっと驚いています。

一度こつを掴んだ積もりだった。が、仕事で完全に中断され記憶にもない

中学校時代に無理やり入れられたサッカー部での体験やその周辺について少し纏まってきた。この構想は遠くの雲のようにぼんやりと白く望めただけであったが、いまや纏まりを見せてきてくれているだが、書き出せない。
浮かんだアイデアをそのアイデアのままに放置しないように、書き上げてしまうという感覚を把握した積もりだった。だが、随分何度も仕事がはいり、YTなども作っていた生で、あのときの創作人としての感覚を喪失しつつある。


せっかく二つの短編が出来そうな気がするのに、取り掛かれない。仕事がまた迫ってきているからでもあるが、二束の草鞋は本当に精神作業なだけに難しいものだ。

森田童子さんのご冥福を祈ります

彼女の作品を知ったのは、なんと去年のことでした。それは『高校』で検索していて、たまたま高校教師という映画を発見し、生徒と教師という関係のストーリーに違和感を覚え、日本ではこういう内容が寛大なのだろうかと不安に思っていたような気持ちで見ていました。もちろん、それ以上に性犯罪の問題が含まれていることはあとでさらに知ることになりましたが。
その時のBGMが視聴後も聴覚に残っていて、彼女の名前で検索し、小声で優美で天才的なメロディーと歌詞に嵌ったところでした。もちろん、彼女のことについてもっと知りたいという胸奥の欲求から調べ始めて、ほんとうになにもないことに驚かされましたが、ご本人がなんらかの理由で希望されていないらしいことが私にも理解でき、諦めていたところでした。わたしなりに、もしかしたら細く高い鼻の形と顎の線から欧州人とのハーフのかたなのかなとも想像していましたが。こちらに住んでいると、すぐにそちらのほうに発想が点火してしまうのですが、個人的なことを公開したくないというのはそのへんからなのかなと勝手に想像してしまってました。

森田童子 (1st)good bye グッドバイ


残念なのは芸能界には殆ど登場されないのは、良いとしても、作曲や作詞活動も停止されてしまっていたことでした。これは日本の文化にとっては損失だと思いました。しかも、逝かれてしまったのはもっと悲しいことですね。もちろん、彼女の曲の中にいつまでも彼女は、森田童子さんは生きていらっしゃる、それは間違いないことですが。
これからもわたしは彼女の曲を折あるごとに聞くことになるでしょう。心から語りかけるような歌声とメロディーにずっと耳を傾けることになると思います。


森田童子さま、本当に短過ぎる期間でしたが、有難う御座いました。

『れいこ』のエピローグ

高校生時の初恋の女性をこっそり故郷に探しにゆく話をメモしていた。いろいろな展開を考えてみたが、どれもこれもどこかでもうすでに誰かが書いてしまったような恐れを感じて、ずっと放置してあった。
昨夜眠るときに、いや、眠るために三島と澁澤龍彦の対話を読んだ。それが朝起きてみると、この『れいこ』としておこう、のエピローグを導き出していた。