蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

言い訳は、反抗的であり、生意気という結果になる

一昨日、引き受けなければ不味いとおもわれる仕事が二つあった。飛行場に行く仕事だった。ひとつはスムーズに終わった。しかし、もうひとつのほうは予定より1時間半も遅れて到着した。しかも荷物の車の部分が破損しているので、そのために30分近く空港ですごすことにもなった。結局、午後六時に到着予定の便の仕事が終了はTCと翌日のレストランの予約もかねてホテル到着後も歩き回ったので、22時になってしまっていた。


翌日このグループは凄まじく、翌々日にはこの都市からDDで昼食をとり、プラハにまで行くということであった。さらに次の日にはプラハで三時間フリータイムを過ごし、同日にウィーンまで行ってしまうという凄まじさである。


食事のことを一人のかたに聞かれ、前日TCと歩き回って教えてあげたレストランのことを話すと、つまり中華もイタリアもドイツも近くにあることを話し始めると、いきないその傍にいた婦人が怒りをもった声で、ドイツに着たんだからドイツ料理じゃなくちゃ、とわたしの説明を横から一刀両断した。いいわけとかわたしはせずにちょっとよけるように体を後退させた感じだった。
こういうことはしょっちゅう発生する。でも、ここでわたしがこういうふうに話し出したのか、怒声を浴びせてきた中年女性に言い訳でもしようものなら、それはさらに反抗的であるとか、攻撃を受けるのが関の山なのでなにも言えない。ただ、ドイツレストランに関して絞って料理の種類とか話して心理的に危ないところを越えるだけであった。