蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

50枚に収まりきらない作品『M』

ライオンという映画。子供のときに、オーストラリアに養子としてラッキーな生活を送るが、生まれ故郷の、母が生きているかもしれないインドに戻っていくという二コル・キッツマン共演の映画だった。傍観しながら自作品を推敲していた。至極好い加減な推敲だというしかない。
 この映画はすでに見たことがあった。また、わたしはインド、パキスタン人と過去に嫌な思い出を持っていて、むしろ不幸な子供が世界にたくさんいるのに、自分たちの子供をつくることは考えられないというようなことを映画のなかで言っていた二コル・キッヅマンに驚かされたものだった。女性としてなんでそんな気持ちになれるのか、いくらなんでもと驚かされる思いだった。
 インド人の集団だったか、パキスタン人たちだったかはわたしにはわからないが、カースト制で苦しめられた彼らは場合によってはやられてきたような態度を、自分たちよりも大人しく弱そうな、すくなくとも暴力でやり返すようにはみえない私などには強く腕力で持って訴えてくるようだ。ドイツで外国人から発展途上国のモラルをそのままにもってきた者たちから差別待遇を受けるというのは案外知られていないことだと思う。
 ドイツ人たちにはテレビでも他のメディアでもしょっちゅう差別が悪いことであることが折りに付け話され歴史的な事象でもって解説されている。だが、外国人はそんな部分が中途半端にしか自国で啓蒙されてないという気がする。

エネルギー不足で生理的不快感、無意識の底に落下しそうだった


起床後、出来るならば、四時間は何も食べないことにしている。八時間の睡眠に、その前後四時間ずつで合計16時間は胃腸を休ませて上げるということで、飢餓状態を不安に感じてミトコンドリアが増えるとか、いいこと尽くめのはずだった。貧血対策にもいいはず。だが、今朝は、起きて三時間もなにも食べなかったのだが、体がふらふらだった。柱や壁にぶつかった。無意識の底に落ちるような、気絶寸前にちかい不快感に襲われた。それで、慌ててあちらこちらにおいてあるブドウ糖の固形物を5,6粒口に放り込み、舌状でとろかし、ベットに横になった。一時間以上経ってから、まともに起きられた。
 昨日作った失敗作の鴨料理を電子レンジで温めて食べた。とにかくたべなくてはならないと思ったから。オーブンで焼けば成功したのかもしれない。皮もぱりぱりしておいしかったかと思う。でも、エネルギーの節約でフライパンで焼いた。それでぐちゃぐりゃになってしまった。そんな感じだ。
 今朝の意識を失いそうになったときに、死神が機会を、私を刈り取る機会をうかがっているなと思った。でも、そうは行かないぞともわたしは思った。
 すべてが問題なく気に入っているわけではないけれども、当面のところ気に入っているので、西村賢太の写真などを動画から作ってみた。折りあるごとに貼り付けようかとおもっている。


 硬い表面のパンをスライスし、そこに白味噌を載せてナイフで引き伸ばして食べた。昨夜もおなじようなことをした。なるほど塩分がつよいかなと思った。でも、味噌の味は有難かった。村上春樹はキュウリを切って味噌をつけて食べるとかどこかに書いてあったが。


 賢太が随筆に、今日は一枚書けたと記していて、毎日かければいいけれどもとも記述していて、驚かされた。視小説家の賢太の筆はかなりスムーズに流れているものとわたしは思って、勝手に思い込んでいたからだった。西村賢太も執筆では苦労しているんだ……

2022年のクリスマス、クリスマスメニュー失敗

今年のように健康上酷い目にあった年はなかった。ほんとうにあたかも神が、お前の寿命は今年で終わりだ。早く死ね。何で死なないんだとでも言っているようでもあった。

クリスマスメニュー。オーブンで焼いたりして、成功するとこの二様の写真のようになる。ということなのだけれども。なかなか上手くは行かない。、




 遣り残していることがたくさんあるから、神の望む通りには従えない。私にはまだしなければならないことがある。
 今年の二月に石原慎太郎の後を追うように?タクシーの車中で急死した西村賢太ももっと自分に寿命があるし、念願の長編を書き上げたいと思っていたはずだった。


 ただ、彼の場合は、明らかに暴飲暴食そしてわたしの妻の死因でもあるヘビースモーカーという健康管理の大問題があった。でも、彼としては本人も言うように努力ができないということで、禁煙などはありえないことだったのだろう。ケミカルな味の25度以上の『宝焼酎』などもがぶ飲みしてきたし、大変なおお喰らい、大食漢だった。それも徐々に改善していくとかは、本人にとってはできないことだったのだろう。わたしは、あのアキエものはちょっと抵抗があるのだが、仕事、バイトの苦労とか職場でのトラブルとかではとても頷けるところもあって、7冊ほど文庫本や単行本をもっていて、十冊は読んでいると思う。
 偉いと思うのは、執筆出来ているところだ。もちろん、編集者とか締め切りとかがあるので、書ける、書かなくちゃいけないというところまで行くのかも知れないのだが。
 54歳はやはり早過ぎた。もう死後十ヶ月ほど経つが、やはり惜しいことだと思う


 本当は昨夜のイブに冷凍の鴨と赤キャベツ、パン屑で作った団子料理を作って食べるつもりだった。でも、食欲はそこにはなく、納豆ご飯を作って食べた。やっぱりこれが一番美味しい。でも、祝祭日第一日目の今日は流石に作って食べた。今日食べないでいつ食べるのかと思ったから。フライパンで焼いてみたが、ぐじゃぐじゃになり、パリパリとした皮も衣も焼けなかった。それでも、仕方なく食べた。上手かったのは団子だけだった。

独りで過ごすクリスマスと年末年始、もう十年間も

孤独を強く感じるのは日本もドイツも同じでこの時期だと思うけれども、老いて孤独というのはしょうがないことだとわたしも諦めている。冬ソナをみるまでの去年までの9年間は孤独を寂しいとも感じなかった。自分のペースに戻らなくてはならないと思う。
ペース?お前にペースなんかがあるか!?ともう独りの罵る自分がいるが。


 チョコレートとか甘いものは、日本と違ってクリスマスケーキとかスーパーとかで売ってはいないので、誘惑に負けて買ってしまうということもないが、せめてこの期間は精神的に楽しく過ごしたいと想う。もちろん結果が真逆になってもっと辛く寂しくなることもあるが。


わたしがドイツに着てからずっとテレビで放映されているメルヒェンがある。それが東ドイツとチェコスロヴァキア共同制作のグリム童話『Drei Haselnüsse für Aschenbrödel
灰かぶり姫(シンデレラ)のための三粒のへーゼルナッツ』

ストーリーは余りにも有名なので、毎回傍観しているだけですが、この時期には欠かせない映画となってます。見ないと寂しいという感じ。


撮影場所は何度もドレースデンとマイセン、あの磁器で有名な町の途中にある城なので幾度も入城したことがありますが。

ハチ公の茹でソーセージ

昨夜はテレビでは、ネットのテレビですが、再放送がされていて、それも視聴した。DVDも入れて合計三度も忠犬ハチ公を見てしまった。


そしてなぜかずっとホットドッグ用?のソーセージをハチ公が勧められるままに食べていたそのシーンが頭から離れず、呼吸困難で息苦しい睡眠から目が覚めたときにも、頭の中にあったのは、ソーセージを美味しそうに食べるハチ公の姿だった。


 スーパーに足を運ぶと、パンと瓶詰めのソーセージを買って帰ってきた。クリスマスのチョコレートとかビスケットとかもたくさん陳列してあったが、わたしの食べたいものはハチ公の食べていたソーセージだった。
 一年半もソーセージを食べてなかったと思う。ビールもそのぐらいご無沙汰していて、ドイツにいてもったいないと言う人もいたが、食べてみて、やっぱりたいした味ではなかった。衝動食いをしただけのことだった。
駅の周囲の人がハチ公に餌を与えてあげたらしかったが、ハチ公としても大変な毎日だったと思う。「あなたの気が済むようにやりなさい」とかいうことをギアの妻も駅員も、それがあたかも人間ででもあるかのように言うのだが、わたしだったら、どこで寝ていて、ちゃんと食べ物も獲得できているのだろうか、寒すぎはしないだろうかと心配してしまうし、駅で待つ時間以外は室内で寝かせ休ませてあげようとしたりやったと思うが。