蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

ハチ公の茹でソーセージ

昨夜はテレビでは、ネットのテレビですが、再放送がされていて、それも視聴した。DVDも入れて合計三度も忠犬ハチ公を見てしまった。


そしてなぜかずっとホットドッグ用?のソーセージをハチ公が勧められるままに食べていたそのシーンが頭から離れず、呼吸困難で息苦しい睡眠から目が覚めたときにも、頭の中にあったのは、ソーセージを美味しそうに食べるハチ公の姿だった。


 スーパーに足を運ぶと、パンと瓶詰めのソーセージを買って帰ってきた。クリスマスのチョコレートとかビスケットとかもたくさん陳列してあったが、わたしの食べたいものはハチ公の食べていたソーセージだった。
 一年半もソーセージを食べてなかったと思う。ビールもそのぐらいご無沙汰していて、ドイツにいてもったいないと言う人もいたが、食べてみて、やっぱりたいした味ではなかった。衝動食いをしただけのことだった。
駅の周囲の人がハチ公に餌を与えてあげたらしかったが、ハチ公としても大変な毎日だったと思う。「あなたの気が済むようにやりなさい」とかいうことをギアの妻も駅員も、それがあたかも人間ででもあるかのように言うのだが、わたしだったら、どこで寝ていて、ちゃんと食べ物も獲得できているのだろうか、寒すぎはしないだろうかと心配してしまうし、駅で待つ時間以外は室内で寝かせ休ませてあげようとしたりやったと思うが。