蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

2022年のクリスマス、クリスマスメニュー失敗

今年のように健康上酷い目にあった年はなかった。ほんとうにあたかも神が、お前の寿命は今年で終わりだ。早く死ね。何で死なないんだとでも言っているようでもあった。

クリスマスメニュー。オーブンで焼いたりして、成功するとこの二様の写真のようになる。ということなのだけれども。なかなか上手くは行かない。、




 遣り残していることがたくさんあるから、神の望む通りには従えない。私にはまだしなければならないことがある。
 今年の二月に石原慎太郎の後を追うように?タクシーの車中で急死した西村賢太ももっと自分に寿命があるし、念願の長編を書き上げたいと思っていたはずだった。


 ただ、彼の場合は、明らかに暴飲暴食そしてわたしの妻の死因でもあるヘビースモーカーという健康管理の大問題があった。でも、彼としては本人も言うように努力ができないということで、禁煙などはありえないことだったのだろう。ケミカルな味の25度以上の『宝焼酎』などもがぶ飲みしてきたし、大変なおお喰らい、大食漢だった。それも徐々に改善していくとかは、本人にとってはできないことだったのだろう。わたしは、あのアキエものはちょっと抵抗があるのだが、仕事、バイトの苦労とか職場でのトラブルとかではとても頷けるところもあって、7冊ほど文庫本や単行本をもっていて、十冊は読んでいると思う。
 偉いと思うのは、執筆出来ているところだ。もちろん、編集者とか締め切りとかがあるので、書ける、書かなくちゃいけないというところまで行くのかも知れないのだが。
 54歳はやはり早過ぎた。もう死後十ヶ月ほど経つが、やはり惜しいことだと思う


 本当は昨夜のイブに冷凍の鴨と赤キャベツ、パン屑で作った団子料理を作って食べるつもりだった。でも、食欲はそこにはなく、納豆ご飯を作って食べた。やっぱりこれが一番美味しい。でも、祝祭日第一日目の今日は流石に作って食べた。今日食べないでいつ食べるのかと思ったから。フライパンで焼いてみたが、ぐじゃぐじゃになり、パリパリとした皮も衣も焼けなかった。それでも、仕方なく食べた。上手かったのは団子だけだった。