蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

森田童子さんのご冥福を祈ります

彼女の作品を知ったのは、なんと去年のことでした。それは『高校』で検索していて、たまたま高校教師という映画を発見し、生徒と教師という関係のストーリーに違和感を覚え、日本ではこういう内容が寛大なのだろうかと不安に思っていたような気持ちで見ていました。もちろん、それ以上に性犯罪の問題が含まれていることはあとでさらに知ることになりましたが。
その時のBGMが視聴後も聴覚に残っていて、彼女の名前で検索し、小声で優美で天才的なメロディーと歌詞に嵌ったところでした。もちろん、彼女のことについてもっと知りたいという胸奥の欲求から調べ始めて、ほんとうになにもないことに驚かされましたが、ご本人がなんらかの理由で希望されていないらしいことが私にも理解でき、諦めていたところでした。わたしなりに、もしかしたら細く高い鼻の形と顎の線から欧州人とのハーフのかたなのかなとも想像していましたが。こちらに住んでいると、すぐにそちらのほうに発想が点火してしまうのですが、個人的なことを公開したくないというのはそのへんからなのかなと勝手に想像してしまってました。

森田童子 (1st)good bye グッドバイ


残念なのは芸能界には殆ど登場されないのは、良いとしても、作曲や作詞活動も停止されてしまっていたことでした。これは日本の文化にとっては損失だと思いました。しかも、逝かれてしまったのはもっと悲しいことですね。もちろん、彼女の曲の中にいつまでも彼女は、森田童子さんは生きていらっしゃる、それは間違いないことですが。
これからもわたしは彼女の曲を折あるごとに聞くことになるでしょう。心から語りかけるような歌声とメロディーにずっと耳を傾けることになると思います。


森田童子さま、本当に短過ぎる期間でしたが、有難う御座いました。