蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

やはり、ジョナサン・フランズンの執筆方法でしょう

以前にもこの日記に書いてますが、気持ちの散るような刺激は近くにおかず、排除。ネットでさえ本当は彼が行っているように切り捨ててしまうようでなければ創作などできないのだろうと思います。
思えばこういう日記はカフカが使用したような、作品のための助走としての意義はあるでしょうけれぼも、あまり書き込んでいるような時間は惜しまなくてはいけないのでしょう。ものを書くというパワーが日記やメールで、ネットの検索で消費されてしまう。もちろん、必要なことも消せない事実ですが。
ところでこのジョナサン・フランズンに関しての日本語のウィキが存在しないのは……!