蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

2024-02-04 日曜日

2024-02-04 日曜日


 今朝は六時に起床した。


 烏賊を解凍して、恵方巻ならぬ太巻きを二本作って醤油とお酢で食べた。量は普通に納豆を食べるときよりもコメの量は少なかったはずだった。だが、まもなく体がこの炭水化物のせいで重く怠くなり、では、睡眠が今朝は少なかったから眠りにあてようとしたのだが、眠れなかったと思う。腹が張ってしまって。十時半に食べて8錠も嚥下したのだったが、正午10分過ぎには横になっていられなくなった。その間に眠れてはいなかったと思う。
もやもや妄想はなにかしていたと思うが。
12:22 2024-02-04


 今日は、午後にボーデ博物館に行くこともちょっと考えていた。月末に奈良大学の学生と教授が来てボーデと旧博物館を見学にくるということなのだが、あまり面白くもない博物館なのであるが、でも、ペルガモンが閉館中のベルリンでは代替としてボーデに行くようなことがこれから増えるのではとも考えられたからであった。もしかしたあI村を誘って、録音もして、それを彼にコピーしてあげても良いとさえ考えたが。やはりここからだと簡単に行ける場所ではない気分だった。もちろん、シャーロッテンブルク区からだって、遠いと感じているが。
 いかないことになるかと思う。
 鉄剤を正午半に飲んだ。


 風が強い。外気温は十度。曇天。
12:29 2024-02-04


 私がベストだと思う映画作品の中からアマデウス、グリーンブックなどを視聴Hして6時から8時半とあっという間に時間は経過して行った。それは11時半になっても同じだった。
 公庫をは創作、22歳のを起床後にすぐにやろうと思っていたのだったのに。
12:34 2024-02-04


 午後三時にはベットから降りた。自己流の恵方巻二本のせいで、ちょっと横隔膜で呼吸しなければならない辛い呼吸困難の感じになってしまい、睡眠は諦めざるを得なかった。自業自得だった。
 『22歳○○』創作が停滞気味であるのを思う。これも、貧血、いつのまにか、出血多量であるにも関わらずわたしがこれまで通りにこちら産の緑茶を水代わりに飲んでいて、常に鉄分吸収を自分から阻止してしまっていたことからくるわけだが、緑茶、抗癌でもあり、健康に頗る良いグリーンティーで自分がやられるなんて誰が想像するだろう。
 でも、一昨日鼻血を出してから、コンデションは良くなりつつあるという気がしている。それだけでも凄い進歩と恢復だと思う。でも、土曜日の東方超市への買い物はやはり体にきつかったが。
15:15 2024-02-04


 ベットから降りた後で、計算して食後二時間は経過していると思ったので、鉄剤をロイボスティーで飲んだ。すると、約一時間半ご、この日記を書いている時に左の鼻から血が滴ってきた。
 鼻血だ。が、なぜと思った。わたしは薬のことが良く分かってないのだと思った。
16:45 2024-02-04


 創作を見ると、最後の日付が27日だった。つまり9日間も執筆してないことになる。創作から気持ちが離れると日が経つのはとても早いものだ。
 観光ガイド最盛期の時代に創作を十年単位でフェアゾイㇺしていたのも頷かれることだ。ここでまた、『拒食症の開けない夜明け』を書いた女流作家の言葉が思いだされてくる。


「仕事して、遊んでなんかしていては小説なんて書けません」


 確かそんなことを言っていたはずだった。
 私の場合は時間があるのに、空虚を感じてytをついつい視聴してしまうと言う、遊びをしてしまうという部分があるのだが。
16:54 2024-02-04