蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

2024-02-31 水曜日 鉄剤使用開始

2024-02-31 水曜日 鉄剤使用開始


 鉄剤購入と使用開始。食後二時間に薬を嚥下ということで60歳以上は日に3錠ということであった。
 二錠ぐらいの嚥下ではどのくらいの効果があったのかまだまったく早すぎる話しである。だが、飲んだという思いが、精神的に新しい心の支えと希望を与えられた気分であることはたしかだ。
 相変わらずののろい動きが書斎の椅子から立ち上がって6,7mほど便座に移動し、蓋を開けおしっこをし、蓋をし、手を洗い、戻ろうとするだけなのに、もうはあはあぜいぜいという呼吸をしていて、それが治ってはいないが、まだ始めたばかりだからという気持ちが、ポジティーブなものを感じさせてくれる。


 メールを見てヴィーンからは、確定したかどうか、2月の2日の仕事なのに来てないので、流石にメールを書いて催促した。自分で引き受けることも可能かもしれないが、相変わらずのよろよろに近いのろのろな歩き方であるので、できるならI村氏に回したいので、彼だって仕事の多い人なので、引き受けられないかもしれないから、早く知りたい。やはりその場合には私自身が引き受けなければならないかと思うし。


 睡眠をとるのは非常に大変だった。ジャージを畳んでガラス板の机の縁に引き伸ばし、その上に肘を横に伸ばし、併せて手の甲や腕の上に頭を乗せて寝ようとしてみる。ベットに横になると腹水のせいなのか、貧血のせいなのかわたしには良く分からず、横隔膜と肩で呼吸しなければならず、再び座しながら眠ると言う、サッシャやカスパーヒェンがやっていた自分の手枕での睡眠をトライするのだが、もう三日間もまともに睡眠はとれてないのに、それでも眠りに落ちることが出来なかった。
 貧血というか、鉄の薬剤を嚥下しているので、それを無駄にしたにためにも、極力ビールもワインも飲んでない。
 これだけ寝てなければ椅子にすわったままとろとろと船をこぎ始めてもおかしくはないのに、それもほとんどない。
 なにも、できない感じなので、『美味しんぼ』をYTで数時間視聴録画して時間を過ごした。
 なんか、日記でさえもかけない感じだった。
 芙美子の『放浪記』をモニターで読む気力もない。このアソスもスイッチオフの状態のままだった。つけてあるとプレッシャーをさえ感じてしまうからだった。普段はなんでもないのに精神的な圧力をオンのモニターから感じてしまう。


 体がよろよろだと、本当にわたしの最後、晩年も晩年という気がして来ている。そして経済的にもどんどん苦しくなってくるし、そうなると、健常者でもなく、死期がちかづき、金もないということで総崩れという感じだが、それでも、貧血と腹水がある程度解消されることを願い、仕事がある程度入ってきて、経済的にももっとましな状態になることを思うのだった。
 期待できると思う。もちろん、創作も続ける。
08:57 2024-02-01