気に入った芥川賞作品 01年 19日
昨日、十八日の朝というか深夜の私と今の19日の三時五十分の私には、大きな
違いがあった。
昨日は、とにかく頑張って作品を書いて行こうというファイトで一杯であったが
、今は多少崩れた感じだ。もっとも、再び取り戻しはしたが。
どういうことかというと、昨日は三浦哲郎の『忍ぶ川』を読み終わり、自分のなっ
とく出来る芥川賞を発見できた喜びと、興奮であった。
最近の芥川賞の訳のわからない、私の感覚では判断できないものでなく、久方ぶ
りに、村上龍の『限りなく透明に近いブルー』や『エーゲ海に捧ぐ』のような、こ
れなら分からないでもないという作品にあったからだ。
その前に宮田輝の『葡萄と郷愁』そして『蛍川』を読んで、悪くはないが、削れ
るような部分がなぜ許されるのかと言った疑問があった。そのへんが呑みこめなか
ったのだったが、こんどは無駄なところがない、忍ぶ川を読んで、これだと納得で
きたのだ。
『ただ一旗揚げたくて>日本レストラン』やユースホステルなどの話や、Dとの
出会いなど、が頭に浮かび、
『忍ぶ川』風にユースホステルとその後、DとEx、などなどに関する恋愛物語
ドイツ徒弟修業風作品としてカロッサ、やゲーテが頭にあった。一種の二人の、
ドイツの巨匠によりかかった居直りだ。
北杜夫がトーマス・マンの『ブッテンブローク家の人々』に寄りかかったように
。
一時も時間を無駄にしてはいけないと思った。創作に時間を割かなければと思っ
た。
今日もそんな風だったが、ドリームブッククラブで、やはり作品が100部越せ
ば、ただし三ヶ月以内で、出版されるということであったが、詳しく見ると、大衆
向けの恋愛物、また、ノウハウのビジネス本。また、それらの人達はhpを持って
いて、100を掻き集めるのに結構はらはら苦労しっぱなしで、そんな努力の無い
人の作品は3冊、7冊予約というところで、全く無しと言う人もいた。
魅了され、頭に血が上ったのもだから、一時のことで、再び急降下であった。
私はEuropa滞在記でも執筆しなければならないのだろうか、と思った。
デパートMiの御姉さんのように・・
あるいは『ドイツ犯罪記録』とか塩野七生のような『ルネッサンスの女たち』ま
がいのものだ。もちろんこの二つの分野は考えてはいた。しかし、実際に書くとな
ると、時間がかかるだろうし、私がしかし、ぜひとも死ぬ前に執筆して置きたいと
いうものとは違う。もちろん、これらがきっかけで文壇? にデビューできるかも
しれない。世の中にはポピュラーであるかどうかということが、現在では通用する
世の中なのだから。
とにかく今の時点では気持ちもまた落ち着いてきた。できることをやろうと言う
感じである。ホームページも必要かなというきがする。それがなければ人を集める
こともできまい。(たぶん2001年、或いは1994年)
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