蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

執筆材料はあっても執筆できない。01年7月7日

これは一応、私の日記帳ということにしよう。
07日07月01年の今日は大分、インターネットでサーフィンした。
いまこの日記を書きはじめに思ったことなのだが、ホームページで作家によっては

日記まで載せる人の心理がわかるようなきがした。それでもって自分に書かせるた
めだ。ひとつのプレッシャーなのだ。
そのためにも公表ということは必要なのだろう。しかしそれでも私には公表するわ

けにはいかない。これは重要なネタでもあるのだから。
書きたいこと書くべきことはたくさんあるのだが、すすまない。すぐに書けと言わ
れたとしても書けない。
ハルツ紀行のそれぞれTlを変えたツアーの話とか、それは最初のTuさんMoさん、そして去年のFuのことかMiさんとかエピソードはいろいろあるのだ

が、書く気持ちにはなれない。もしかしたら、日本語の柏原芳恵とイマイミキのカ
セットとか聞きながらパソコンに向かっているからだろう。当たり前だ。そんな態
度だったら書けるわけがないのだ。
今日は日陰でバルコニーの温度計が29度を指していた。
私はWに行ってパイナップルを買うつもりであったが、販売はしていなかった。適

当に野菜やフルーツを買って帰ってきた。
実は昨日、金曜日のうちにJ通りに行き、570ドルをマルクに両替してきたし、
マイヤーが店じまいの大売出しをやっているはずだとDが言うので買い物に行った
が、全く安くなっている様子もなければ、どこにも閉店の予告をするような貼り出
しはなかった。
またW通りにも行った。J通りではドイツ産のイチゴを4箱10マルクづつ購入し

、それぞれMeとSoのお店に持っていった。差し入れだ。それはコミッションの
受け取りの礼であった。