蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

なにも出来ないとき 92年1月30日

30日01月92年


 仕事がないと言うとき、またテレビでとても興味深い事柄が放
送され、どうしても釘付けになり、自分の作品、創作しているもの
に自信がないとき、ふとS婦人あたりが何をやっているのか、仕
事と金にガツガツし続けていわゆる彼女自信が成功、仕事を獲
得することの秘密と信じている旅行事務所参りを行っているので
あろうかどうか、そう言ったことが非常に気になるのである。
 本当に妙なことで、書くことに熱中しているときには、このように
仕事が入っていないということに感謝したいくらいなのだが、そし
てまたその時間を有効に活かし、実際にワープロに向かってい
る自分を誉めたいくらいになるのだ。ところがテレビのあと自分の
書いているものに疑惑と不審が沸き出るのだ。一つもものになら
ないのではないかと。そして日本にいるときには書くことだけが
情熱であったから、仕事以外と言うのはすべて私の執筆時間と
して使えたのだった。そして更に情報の、喜びの悲鳴を挙げられ
る氾濫があった。行くところまでひたすら推し進められると言う自
信があった。ところがずっとこの欧州に居てここで、何とか生活
の糧を得なければならないかと思うと、私の目的も存在も本当
に中途半端なものなのだ。
 しかしそのあと台所や寝室の部屋の窓などを掃除して机にや
っと座ると、意外なほどの落ち着きを私は感じることが出来た。
Fさん家の中は、それが羨ましいくらいゲーテの書斎と似て
いたのだが、あれだったらすぐに書くこと考えることが始められるような気がした


。それが不思議だ。この感覚を忘れないでいたい。