蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

15日 日曜日

青い服の男の医者がやってきて、カテータスと言う言葉があったので、ステントの留置ふゅ術があるものとわたしは完全に信じた。ひとつ増えるわけだが、多いほうがいいと思っていたから問題はなかった。それだけ体が弱っているのだからあったほうがいいと思った。
 それから木曜日には退院という言葉も聞こえた。とうことは遅くとも水曜日には手術のあることになる。だが、手術はしなかった。


 新しい相部屋のマックスは32歳で娘がいて、美しい妻とは離婚していて、女性には懲り懲りと言う姿勢だった。ただ七歳の娘が可愛くてしょうがないということだった。美人妻は再婚してSらに四人の子供をもうけたということだった。写真はしらないが、やっぱり美人なんだと思った。
 ガーナ出身の看護士から乱暴に耳を刺され血に塗れ、紙鑢のように紙をあてられ、インシュリンは自分で射すように指図され、それがなかなかできないと、「こっちは一日中待ってるわけにはいかねえんだよ」と罵られた。
 こちらが病弱で年寄りだと見なしてこんな態度をとるのだろうかと思って呆れた。
 クリニックのグーグルの口コミ蘭に流石に私もこの仕打ちに関して書き込んだ。もちろん、半年前に私を死からこのY0に復活させてくれた小柄なランカスター女医や親切できれいなマレーネさんについても薔薇の5ポイントをつけて褒めちぎった。誰もY魔ないとおもうけれども。