蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

映画好きで、怠惰な私に合った創作方法の模索


 テレビを視聴しなくなったので、大分自分の時間が生み出されると信じているのに、実際にはユーチューブとかジョインでネット上でも国営、州営放送が見えてしまうし、興味ある番組が次々に上記のYTで見られちゃうので、わたしの個性?など出る幕もない。典型的な凡人の生活をしてしまっているのだろうと思う。
 いや、お前は凡人そのものだ、と自らに叱咤しなければならない。
 


 こんな自分を打破するために、350ユーロほどの廉価で小さいアソスのノートブックがあるので、そこに巨大なモニターをつけて、創作をと、そして日記も、というか結果的には日記ばかりを書いてきたが、ここでも
 「お前が有名にでもなれば、お前の日記も価値があがるよ。でもそれ以外だったら、お前の死と同時に消滅するだけのことだ」
 「だから、創作しなければお前は存在しなかったことになるんだよ」
 と神が私を罵っている気がする。
 アソスは創作専門と決めてしまったお陰で、かえってよそよそしい緊張が滲み出てきてしまって向かうことも出来なくなってしまった。


 リラックスして書けるという環境を作ることが執筆には重要な基本条件だ、と西村氏の布団や枕のなかで執筆と言う話を知り思うようになった。
 音、音声がないと寂しくてしょうがない、耐えられないという私には、どんな環境が重要なのだろうと考えた結果、ネットもでき、ジョインでテレビ、つまり映画も見られるソニー一本で二つのタブを使って書くしかないような気がする。今もJapanews24を半分視聴しながら書いている。
 もちろん、日記なのでそんなこともできるが、創作が出来るかどうかはまだやってみないとわからない。
 それから、こちらの蝦夷栗鼠日記に執筆を、草稿という段階だが、やってみようかと思っている。
 とにかく、書ける環境を探し当て書くことをしたい。もうあと私の寿命もないような予感がするから。