蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

漫画を描く少年18 『手塚治虫賞』への挑戦

 『手塚治虫賞』への挑戦 


 高二になると茂樹は男子クラスに編入された。良かったと思った。
 女の子がいないお陰で、クラスの数学の授業中に解答ができなくても別段それほど恥ずかしいと思わなくてすんだ。もちろん、安心はできなかった。もしかしたら再び高三になってから女子と一緒のクラスになってしまう可能性もあったから。
 この2D教室で、政治弁論部に入っているという眞鍋と高橋がいた。ふたりともひょろりとしていて玲子と同じ巌清水の出身だった。眞鍋は眼鏡をかけて色の黒くニキビ面のおとなしい少年であったが、高橋は良く喋り、結城にも政治的なことで話しかけてきたこともあった。
 高橋は目がいつも角ばっていて、いつも政治に繋げてほんの小さなことでも意味づけていたようだが、それはただ結城からみると面白いだけで説得力もなにもなかった。こういう生徒もいることに不思議な思いがするだけだった。また、マラソンがとても得意で目立つ小柄で坊主頭の大林という生徒もいた。あとで彼らは左翼系の思想に進んでいることを他の生徒から聞いた。


  暫く与野や久野とは帰りの列車のなかでも一緒になることはなかった。別にそれほど気にもしていないことだった。
 ある昼食後の休憩時間にバルコニーを伝い歩き隣のCクラスをちょっと覗いて見ると、教室の中に四人の男女が体をぴったりくっつけて座っている姿をみた。
 それぞれの女の子に腕を絡ませるようにして椅子をくっつけて固まっている彼らを見た。しかも、その女の子たちは学年でも二人ともチャーミングで綺麗なタイプに属していた。たまたま目撃したので少し嫉妬も覚えた。それで、もう一緒に同じ時刻の列車に乗る必要もなくなり、茂樹などを何かのために誘う必要もなくなったのだとわかった。彼らの目的は達成されたのである。
 一人の女の子は兄弟高の下総から帰るバスの中で、そして入学試験の時に彼の斜め前方に座っていたあの笑窪と八重歯の女の子だった。彼女はちらりと久野の腕と肩の間から茂樹を振り返ったが、その顔には笑窪も笑顔ももう彼に対してはあらわれてはいなかった。
 授業の合間の休憩時間にバルコニーにでるとか、廊下を歩くときにこれまでと同じように隣の教室などに注意を向けなければすむことだと茂樹は思った。


 茂樹は性的な雰囲気から自分の意識を遠ざけることに禁欲的に努めていた。しかし、他の生徒はもっと思春期そのままにホルモンの要求するままに動き、そこに無批判に左右されているようなところがあった。
 肘を机についてヴェルレーヌに眼を落としていると、バスケット部の生徒が後ろから茂樹に抱きつき、ありもしない彼の胸をまさぐって、痛い思いをさせたことがあった。
 「悪いな、おめえは色が白くて女みたいだからよう」
 そんなことをいって自嘲的な笑い声を立てていて、茂樹にも怒れないものがあった。そして彼は、海棠二高の女子生徒たちとバスケットをやりに行くことがあり、そんな時に胸や腰にさわれるんだと、もう堪らないように思い出して話すのであった。それで、身代わりに発作的に後ろから思いっきり襲い掛かられるのは大変な迷惑であった。
 また、教室から教室を歩き男の子ばかりをみて回る男子がいて、
 「このクラスじゃ、結城が一番の美男だな……」
 と茂樹は耳元に生温かく湿った息を吹きかけられたことがあった。振り返ってその本人をみると、小柄で眉毛の濃く目のいかつい毬栗頭の少年がそこにいた。確か彼は何かのスポーツ部に入っている者であった。美とか、そんなこと自体を気にするようなタイプの少年には全く見えなかった。茂樹は、そんなことを言われても、他のクラスにはもっと格好の良い、女の子にもてそうな健全な姿勢を持つ男子生徒がいるし、それは自分には全く無意味な言葉であり、慰めにもならないと思った。


 中学生の時の茂樹は好きな漫画家の作品の掲載される雑誌を毎週のように買っていた。だが、自分の好みが決まってくるとどうしても他の漫画家の絵は受け入れられなくなって来た。
 高校二年生になった漫画家志望者はほとんど漫画雑誌も買わず、読みもしない少年になっていた。それはまた破廉恥で、派手に騒ぐ漫画が増えてきたことでますます買いもせず読みもしなくなった。代わりに、横山光輝の作品だけで一冊の本に纏められているような本があると、自分の小遣いの額とその値段を比べて困惑はするが、買いたい手に入れたいと思うのだった。彼の描き方は良く知っている。そして内容は一度目を通してしまったら実際にはもう購入する意味がなくなってしまうことも迷いのうちの大きな要因であった。
 放課後になってまっすぐ帰宅するのも面白くなく、駅に行くのに市街の賑やかな通りを歩いて行った。そしてやはり彼の足は本屋で止まった。店頭には客引きのための新刊書、出たばかりの雑誌や新聞が突き出されていたが、そのなかに漫画の月刊誌もあった。
 別に見ようという気持ちもなかったが、なんとなくその表紙にあった見出しに、その時は眼を射られたのであった。
 そこには今まで漫画雑誌に書かれてなかった文字が大きく赤い太字で描かれていた。それが『手塚治虫賞』であった。
 賞と言うと文学の賞はよく聞くが漫画に賞が存在するというのは始めて知ることであった。他のものも立ち読みしているので、茂樹も中年や初老の髪の毛のないおっさんたちに混じってこの『手塚治虫賞』なるものがどういうことなのか、予感に震えながら、ページを慌てて破らないように自分をことさらに抑えてその記事を探した。
 「新人の意欲に満ちる作品を求む」とか、「プロの漫画家への登竜門」などという小見出しが飛びだしてきた。
 雑誌を買うお金も持ち合わせていないので、彼はその漫画としては初の賞の募集要項に目を走らせ、締め切りとか枚数を口の中で繰り返して脳裏に焼き付けた。送り先は雑誌の出版社であるから、それは家にもある漫画雑誌の裏側をみれば良いのだと思って、今見たこの賞のことを信じられない思いで本屋を離れた。しかし、駅の近くまで来た時には、もうしゃにむに今の書店に戻って有り金をはたいて、その問題の漫画月刊誌を購入することしか頭にはなかった。
 彼は帰りの列車に揺られながら、店の名の入った白い紙袋をあたかも重要な書類でも抱えるようにして帰路を急いだ。極秘情報でも獲得したかのように、彼は少しも袋から出して見ようなどとは思わなかった。誰かに見られては、ましてや「ちょっと、読ませろ」とか言われて汚されたくもなかったからだ。
 帰宅した茂樹は、テーブルをわざわざ布巾で拭くと、油とかの汚れがないことを顔を近づけて確かめてから、崩れやすい古書でも取り扱うように、ゆっくり紙袋から取り出して、注意深くその問題のページを開くのだった。 
 この賞を獲れば、すぐに自分はプロの漫画家になれる。この思いに茂樹は恍惚となった。賞を獲得すれば同級生からの尊敬の念も計り知れないほど急上昇するし、岩本玲子に声をかけることもできると思った。
 この高二の夏、全ての時間と労力を漫画製作に傾けることを決意した。


 案と言うものは妙なもので、メモする数分の間は最高なものだと思えた。だが、あとで読み返してみるとその時の天才的と思えた閃きは通俗的でありきたりのものでしかなく、どれも『手塚治虫賞』に挑戦するだけの輝きを放つようなものではなかった。それは四コマ漫画でもこのような短編でも同じであった。
 三十枚ということは夏休み期間、全部を使ってやっと完成を期待できる。そのように計画しなければならないと茂樹は心の準備をした。そのためには、いかにストーリーが重要でも三、四日間で輝くアイデアを見出し堅固な構成を練り上げなければならないと思った。そして絵コンテを三十枚に配分し、ケント紙に毎日最低一枚以上はしあげなければならない。


 茂樹は自分の部屋と言う物は持たなかった。一つ上の兄と同じ三畳ほどの部屋を共有しなければならなかった。漫画を一所懸命描いているところを覗かれたり、また、見られていると思うとやりづらいので机の前と右側は壁際につけ、椅子の背後に書棚を立てて、前の壁に釘を打つと、後ろの書棚と紐で繋ぎ、一枚の布切れをカーテンにして左側に下げた。これで部屋に入ってきた兄から左側から見られることもなくなった。大き目の公衆電話ボックスのような自分だけの領域を茂樹はこうして作った。彼が机に向かっているときに、くるぶし辺りまで下りたカーテンに触れて本棚との隙間から手を入れて覗くようなことは兄もしなかった。自分だけの架空の世界が、誰にも邪魔されない領域が茂樹には必要であったから、これには両親も怒らず、そのまま暗黙の了解も得られたようだった。


 なにをテーマにしてどのように描こうかと四六時中考えあぐねるのであったが、なかなか良いアイデアが浮かばない。
 ふと玲子の姿が頭に浮かび、今頃はなにをこの夏休み中にしているのだろうかと想像する。次に彼女をヒロインにしてみようという思いが湧くと、すらすらとストーリーが憑かれたように様々に展開し始めるのだった。


 作品は幾分神話風のサイエンスフィクションに仕上げることに決めた。しっかりした起承転結の骨組みを備えた、モラルの上でも人を考えさせる良いものができそうな予感がした。
 エピローグの部分で、もう絶体絶命に追い込まれてしまい、数人のうち一人が犠牲にならなければ許されない状況に追い込まれ、玲子にあたるヒロインが進んでみんなのために犠牲になろうとするのである。そしてその瞬間にみんながこの綺麗な心の彼女のお陰で救済されるという結末を茂樹は考えた。
 このときは絶対に行けると思った。このどんでん返しに審査員たちも深い感銘を受けるのではないのかとさえ茂樹は信じた。このストーリーには大変な彼自身のオリジナリティーが奇跡的に突出していると、書き出してみて我ながら感激するのだった。
 それから全体のストーリーを台本のように書けるだけ書き始めた。あとで、余分なところは削除し縮小すれば良いのだから、今すべきことは出来るだけ思いついたことを書き足していくだけだと思った。絶対良いものが出来上がると茂樹は確信し幸福なひと時を体験するのだった。
 少しづつ出来上がっていって、そのたびに一流の漫画家がやっているように、壁と彼の背丈ぐらいある書棚とのあいだに張った紐に、出来上がったばかりでまだ濡れて光るケント紙を洗濯ばさみで止めてぶら下げかわかすのであった。兄はちょっとこの弟の熱心さに感心したようで父が近くにいた時にもっともらしいことを言った。
 「まあな、家族に一人ぐらいは、こういう変わった奴がいても良いよな」


 夏休みが終わりに近づいたときに、やっと三十枚の漫画ができあがった。およそ毎日十時間から十四時間は机に向かって描いていた。結構大変な作業だと茂樹は思い知らされ、出来上がったことでやっと漫画から解放されるとさえ感じていた。本当はそれじゃまずいのではないのかと不審に思いながらも、解かれた喜びに浸っていた。
 そして出来上がると、やはり誰かに見せて、この夏休み中にどんなに自分が精力を打ち込んで頑張ったかその成果を見せたい、認められたいという気持ちが込み上げてきていた。
 新学期が始まると、彼の足は自然に古典の仁平先生に向かっていた。職員室は新館の一番南側にあり、大きな窓が三方に開いていて外の見晴らしも最高だし、教室二部屋分は十分にある明るい大きな部屋だった。これまで入ったことのない職員室であったが、仁平先生に自分の渾身込めた努力を見せたいという気持ちが茂樹をして踏み入りさせた。他の先生にだって見られても平気だと思った。それだけの自信作でもあったし、自分には自分の青春があることを見てもらいたいような誇りさえ持てた。
 もう、あとは投函するだけの、『手塚治虫賞』宛の住所も書いた茶封筒から、白いケント紙をだして彼女のテーブルの前に拡げた。
 「まあ、結城君、上手だわ、プロの漫画家とまったく変わらない感じね」
 笑窪を見せながら二十代前半の彼女は大きな目を爛々と光らせて一枚一枚両手にとった。そして読むというよりは鑑賞していた。もとより彼の文字は下手で読みづらいはずであった。内容は荒唐無稽なものであったし、それが古典の先生に本当に理解できるかどうかは最初から彼としても疑問ではあった。
 このちょっとした珍事に近くに座っていた現代国語の福松や大狸も女教師の周りに煙草臭い息を吐きながら集まって来て数枚のケント紙を手にとって眺め始めた。茂樹としてはこの大切な生原稿を彼らが手に触れるたびに、ハッと肝が縮まる思いだった。彼らの汚れた指の指紋でもついたら修正をしなければならない。それも再び帰宅してからやらなければならない。こんな場所に修正するための道具も材料も揃っていないので、触れられるたびにヒヤッとする思いであった。
 ただ、彼らが茂樹の努力の結果にすくなからず関心を示してくれていることがとても嬉しい。
 「こういう生徒がいても良いと思うね。みんなが同じ敷かれた線路に乗って同じことをする必要はないわな」
 地学の大狸が笑顔をつくって尤もらしいことを言った。ただ、茂樹の未来は自分自身の能力と運だけにかかっていて不安定なことは彼も忘れてはいなかった。こういう先生たちも実はちゃんとしたコースを進めない茂樹を半分憐れみの気持ちで見ているのかもしれないとも感じるのだった。
 出来上がった創作漫画は仁平先生のもとに置いて、授業時間のあいまに読んでもらえたらと言い残して、彼は教室に戻った。
 あとで、なかなかの力作ですねと彼女に言われたが、自分の漫画を普段から研究していない教師に、その醍醐味を味わえるかどうかは困難なのではと思った。それは文学に携わっている仁平先生でも違わないと思った。彼はにこりと頷いて職員室を後にした。多少お世辞が混じっていたとしても、もうこれで良いと思った。あとは運を天に任せて送るだけだと思った。
 そしたら完全に肩の荷が下りることになるはずだった。
 実際に大変な仕事であった。
 三十枚描くのに、約四十日間の時間を必要とした。しかも、茂樹としては毎日を辛く感じた。楽しく喜びを感じた瞬間も何度もあったが、結構厳しいものであった。
 十枚描いたときにも苦を少し感じたが、今度は本格的な辛酸さの一部を舐めさせられたという気がした。
 プロになったら一体どういうことになってしまうのだろう、と入らぬ狸の皮算用で、もうこの体験から作品生産に必要であろう苦労を想像してぞっとするのであった。とても自分に毎週何十枚も描きあげる才能はないという気がした。
 考えていくうちに、プロはアシスタントを使うから締め切りに間に合うんだろうと言う事に思いついた。だが、スタートしたばかりの自分にアシスタントを使うだけの経済的な余裕はあり得ないだろうとも思った。ましてや、他人に同じケント紙に建造物や乗り物、あるいは背景画などを描きこませるなどということはちょっと自分に許せなかった。それでは自分の純粋な作品ではなくなるではないかと茂樹は憤るのであった。それは絶対にできない。……でも、そうなると、ケント紙を前にすること自体に憎悪を覚えるようなところまで行ってしまうような気がする。どうもこれに関しては解決策はないような気がした。今の彼には突破口は開けそうもなかった。


 漫画の募集が締め切られた期日と受賞者の発表日は結構短かった。文学作品と違って選考委員には最後まで読まなくても彼らの鑑識眼で即日落とすことが可能だし、その枚数も少ないせいなのだろう。
 秋には締め切られ早くも晩冬には賞が決定するのであった。
 それからは、受賞者が発表されるはずのない月の漫画雑誌も、間違って載る事はないかと思い、表紙や目次ぐらいは開いてみてきた。
 そしていよいよ一月のお正月号が店頭に置かれる日が来た時、震え逸る気持ちを抑えながら校舎の高台から坂道を急ぎ足に、目抜き通りの本屋に茂樹は向かっていた。さすがに気温は下がっていたが、午後ということもあり道路は乾燥していた。
 市内の本通にある本屋がこれほど離れて感じられたことはなかった。自分の足の速度がいらだたしいほどであった。まもなく磨かれたガラス張りの仕切り壁と臙脂色の庇がみえる。今はガラスドアの店内に新刊の雑誌が積み重ねてあり暖房が入っているはずだった。
 辿りついた茂樹は、まず自分を落ち着かせて、例の漫画の月刊誌を目で探した。そしてそれがいとも簡単に目に触れて信じられないような気持ちであった。
 そして発見すると『手塚治虫賞』受賞者の項目を夢中になって探すつもりであった。が、それは探すも何も、あっけなく表紙の上方に赤い特大文字で受賞者の名前が記されていた。
 そしてそんな馬鹿なはずはないと茂樹は思った。もしかしたら彼が出した郵便物がちゃんと『手塚治虫賞』受付の係りに届いていないのではないかとさえ思った。そして雑誌を開いてその理由を知ろうとした。一体どうして他の作品が受賞していて、自分の名前が出ていないのかその理由がなんとか知りたかった。
 受賞でなければ、最終候補作作品に留まっているのかも知れないと思った。しかしそこに出ている五作品にも自分の名前も作品の題名も見当たらない。これはおかしすぎると思った。まさかその下の選外佳作に自分の名前が連なっているという恥を自分はかいているのだろうかと思い、そこにも自分の作品と名前が上っていないので、全くわけがわからなくなり呆然とした。
 彼は食い入るようにして作者名と作品名を二三度チェックするのであるが、何度見てもそこにあるべき結城茂樹という自分の名前を見出せないのである。
 まさかと第二次予選選考通過作品ぐらいのランクに自分の名前が蹲っているのではあるまいかと落胆しながら、震える手でさらに小さくなった文字をつぶさに見てみた。選考委員の能力を疑いながら文字を追うのだが、そこにも茂樹の作品も名前も見あたらない。やはり届いていないのだ。なにかの郵便局内の手違いで遅れて届いたがために、来年に回されでもしたのだと思い始めながら、念のために、ありえない事だが次のページを捲った。するとそこには更に細かくなった文字で、すでに第一次予選で落ちたその他の全応募者の名前が掲載されていた。作品のタイトルなどは余白を惜しんで記してもなかった。そこに茂樹は自分の名前を発見しなければならなかったのである。
 これは茂樹にとっては大変なショックであった。


 受賞した作品はひと言で言うならば、下手糞そのものだった。それが茂樹の受けた第一印象だった。
 だが、稚拙ではあるが誰もこれまで描いたことのない素朴でオリジナルティーな画風ではあると思えるものだった。しかしそれにしても出来損ないのような画法でもって独特な線をだすというのは、なんと程度の低い次元での成功であろうかと侮蔑さえ感じるのだった。……ただ、この酷い受賞作品に比較すると、池沼も中伊も、そして茂樹自身の作風も独自のものはあまり見当たらないといわれてしまっても仕方ないのかもしれないとも思った。
 なにがいけなかったのか、この驚愕の渦中にあっても、それでも茂樹はすぐに理解した気持ちだった。やはり絵の独自性なのだろうと思うのだった。それ以外にこの下手な絵が受賞できた理由が他にないと彼には思えた。
 第一回『手塚治虫賞』が掲載されているこの月刊誌を購入するつもりでここまで来たのだが、でしなに顔面にパンチを食らった状態であった。そして、この受賞作のストーリーなど、もう読むとか味わうとか、そんな気にもならなかった。この稚拙とも言える受賞作の絵はそれほど大変なショックを茂樹に与えていた。彼はそれまで、受賞するかもしれないと半ば本気で思っていたのだ。その興奮で夜中に起きてしまったことさえあった。
 自分たちは有名な漫画家たちのアシスタントには成れるかもしれないが、到底独自の作風をもって自己主張できるプロには当分今の画風ではなれないのかもしれないと茂樹は思った。アシスタントの地位だって日本全国各地に自分たちのようなアマチュアはたくさんいるはずなので困難な限りだろうとも思われた。


 帰りの海棠駅のプラットホームでは、知っている生徒がいない端のほうに佇み、列車に乗り込んだ。そして熱に浮かされたようにこの『手塚治虫賞』の結果を口のなかで唱えているのだった。
 これまでの自分への信頼が、この落選で、いや相手にもされなかった『手塚治虫賞』の結果で、一撃の下に瓦解した感じがあった。
 とにかく自分のやっていることが根本的に間違っているのに違いないと思わざるを得なかった。でなければ、あんな下手な絵が受賞するはずがないのである。思えば自分なりの画風を作ろうとか考えたことがあっただろうか。むしろ自分の敬愛する横山光輝の画風に似ているといわれて自分の才能を認められた気分になり嬉しく思っていたぐらいであった。それは恐らく他の二人も同じなのだと思った。車中、考えていくうちに、こういう間違いが発生しないように作品を見せ合い議論をして腕を磨いていくのが『漫画研究会』ではなかったかと気がついた。三人が何度かもっと集まって鼎談でもしていたら、絵のセンスはそれぞれあっても、自分たちにオリジナリティーの画風がないのを気がつくところまでに到達していたのではないかと思えるのだった。
 この受賞作のような稚拙だからオリジナリティーがあると見なされている作品とはちがう、技術的にも絵のタッチも熟し優れた画風で独自のものはつくれないかと思った。しかしそれは致命的なことであった。自己否定的なところから再スタートしなければならないような気がしたし、到底この残った高校時代の短期間では到達できないような気がするのであった。唯美主義者、耽美主義者にいきなりアヴァンギャルドでやってみろというのと同じ様なことに思われた。
 これが絶望的な状態、窮地というものだろうかと、茂樹は列車に揺られながら空虚な気分を舐めていた。
 窓の外では、鉄道のすぐ近くに林立する森や林の樹冠を、静脈から流れて煮凝った固まりのような、濃度の強い赤い夕日が焼いていた。空を流れる薄く細い雲が、最後の陽光に染め上げられて痛みを伴って喘いでいるようだった。近くに建つ家屋は黒いシルエットをみずからの黄色や橙色の灯火で素早く長く切り裂いている。そして冬の田畑が再び視界を広げたかと思うとまたすぐに鉄道付近に植えられた樹木の影が不明瞭な黒と濃い灰色に解け混ざって横に流れていく。あらためて世の中が暗黒であると思う。このまますべてが真っ暗になり消滅してしまえばよいとさえ茂樹は願った。


 翌日もこの『手塚治虫賞』の結果で茂樹は悶々としていた。彼は激しく打ちのめされショックを受けていた。受賞作に関して、あんなのは違法だとさえ思った。横山光輝も石森章太郎も他の漫画家たちも手塚治虫の画風に似ているじゃないか。それでも、認められているじゃないかと思うと、再び理不尽な扱いを自分の作品が受けたと思えるのであった。……ただ、全応募者のカテゴリーに自分の名前が掲載されていたのはどう説明していいか自分でも分らなかった。つまり才能が全くないという結果と見なければならないのだろうかとさえ考えるのであった。
 そして彼の脳裏には、横山光輝のアシスタントになれるのではないかとか、しかし同じ様な気持ちでいる者は他にもいるし、だいたい彼がアシスタントを必要としているのかなどと何度も同じことを自分に問うのであった。
 それが一通り終わるとこんどは堀川先生に指摘されたことが幾度も頭の中を旋回するのだった。
 「でも、手塚治虫なんかは、医学博士なんじゃないの。大学に入って、それから漫画家になったって遅くはないよ」
 と笑って茂樹の肩を叩いてくれた生物の教師、彼の言葉があらたに突き刺すのであった。
 そして彼は実際には言えなかった理論でやり返すのであった。
 「でも、彼は世に稀な天才ですから。だからそんな回り道をしても漫画家として大成したんです。でも、僕みたいな普通の者には彼の例はまったく参考にもならないし、比較すること自体が間違っていると思います」
 丸一日も経過すると、茂樹はショックからすこしは立ち直り、回復への道程を思案しだしていた。
 十代後半の今、何ができるか、またなにをしておくべきか。今はまだ十六歳であり、一番色々な知識とか吸収できる大事な時期である。やはり知識のほうにウエイトを置くべきかも知れない。画風はすぐには変えられないだろうと思った。
 結局、彼が新約聖書のように大事にしている手塚治虫の『漫画家入門』の中に書かれてある幾つもの重要な聖句が脳裏に蘇るのであった。


 放課後の出口で珍しく池沼と一緒になり視線があった。本当は自分が『手塚治虫賞』に応募したことは、受賞すれば話は別だが一切口外しない積もりでいた。だが、池沼の誠実さを感じさせる落ち着いた浅黒い顔を見ると、昨日見た結果を話さないではいられなくなった。
 『手塚治虫賞』に応募したことを話すと、池沼の茂樹を見る眼にある種の感嘆の気持ちが揺らいだようだった。中伊とは違って本当に実行に移す者、創り出して自分の目標へ努力を惜しまない者への感心した眼差しであった。
 もちろん、落選したことも彼にすぐに話した。また、茂樹の口調からその言葉を使わなくても、すぐに落選のことは、理解したと思う。そして茂樹の言いたかったことも池沼には理解できたと思う。
 どうみても下手な画風。だが、オリジナリティーという、これまであまり茂樹が考えたこともなかったものをこの受賞者が兼ね備えているという事実。茂樹は本屋の店頭に池沼を伴って、受賞作を見せたかったのである。
 「その原稿のコピーは取ったの」
 そう言われて、そういうことができることをすっかり忘れていたことに気がついた。ただ、茂樹は、受賞して自分の作品が掲載されることを錯視していたので、コピーのことは全く考えもしなかった。
 「いや、残念だな。見たかったな」
 池沼の発言には、それだけの量の原稿を製作したということに、ある敬意さえ窺えた。それは物造りの苦難を体験するものだけにわかる溜息だった。


 玄武統合中学校での茂樹の成績は、百七十名中、だいたい四番目あたりであった。
 廊下に期末試験などの上位者の結果が貼りだされるので、それは否応なくわかってしまうのであった。
 ただ卒業時には中卒ですぐに漫画の修行を始めたかったし、その決意はかなり真剣であった。そして彼が必要とする意味のある部活もなかったことと、ガリ勉と陰口をもう叩かせないために中二からゴルフのキャディーや牛乳配達や新聞配達を始めていた。
 そして中三の最後の頃には出来たばかりのサッカー部に半強制的に入れられてしまったことがある。猥褻で暴力的な振る舞いで恐れられていた国語教師に捕まりたちまち入部させられてしまったのであった。
 そんなこともあり、海棠一高入学試験の結果は二百五十名中、七十四番と教師から言われた。言われてその気になればもっと上位で入学することもできたのだと心のなかで相手に主張していた。
 入学後は在学中に漫画家のプロとしてデビューしようと固く決意していたので、成績は更に悪くなっていた。
 無名のアマチュア漫画少年に与えられた『手塚治虫賞』という好機を自分が活かし得なかったこともあり、ふと大学進学という道も思った。だが、いまさら国立の大学に入学できるほどの学力を取り戻すようなことは、到底自分には現実的にも無理と思われた。
 ほぼ二年間の在学中の学業における怠惰は取り返しが付かないのはあきらかだった。文学作品に登場するジュリアン・ソレルのような超人的な頭脳を持つ主人公たちとは、自分が別物であるのは自覚していた。このハンディキャップを乗り越えるような能力がないことも分っていた。