蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

漫画を描く少年 6 眩し過ぎる少女

眩し過ぎる少女


 体育の時間になると、男女は別れて、高台に並ぶ校舎群の南に五メートルは低く下がって広がるグラウンドで授業を受けることになっていた。初の体育の授業で、そのときにはなにも考えずに新品の濃紺のタイツをぴったり身に着けて、男子が集合しているグラウンドの真ん中目掛けて、茂樹も遅れまいと石組みの階段を駆け下り飛び出して行った。
 グラウンドは北に校舎群を臨み、そして南と西の低い土地には、居並ぶ一戸建ての、大抵は二階建ての住宅群が広がっていた。そして東には、細い通学用の坂道が南北に森に沿って続いていた。   
 広いグランドの東側に、登校用の坂道と新緑の葉で萌黄色に燃える森を背景にして、濃く赤いタイツをぴったりと身に付けて女生徒たちが次々に開花する花のように増え、集まりだしていた。
 やはり学生服とは違って体を締め付けるような運動着は新品なだけにどこか動きずらいようで、女の子たちはそれぞれ体を屈め背中や脚を伸ばしてみたり、上着の生地を下方に小さな手で掴んで伸ばしたりしていてどこかぎこちなく集まり出していた。それ以上のことは、見たことのない服装をして集まりだした女生徒を見ても、なにも茂樹は感じなかった。
 やがてB組の女の子たちも混じってきて、その中に玲子の姿をみいだした。彼の視線は釘付けにされて動けなくなった。
 他の女子生徒はただ着おろしなので、ちょっと不慣れな感じで身に付けているだけというそれ以外のなにものでもないのに、玲子のタイツ姿から受ける印象は全く違うのだった。だいたいこのタイツは玲子のとても女性的な体を強調し誇示するためにつくられたのではないかと思わせるほど彼女に似合っていた。そして彼女の十六歳とは思えない女らしさが後光のように放射されていた。だいたい彼女のいる場所だけは明るく壊れやすく澄んだ緊張感が感じられた。他の女性のほうをみても茂樹のほうでは気持ちも弛緩していて早く帰宅して漫画製作に関係あることに取り掛かりたいぐらいのことしか考えてもいないのに、玲子があらわれると自分の本来の目的を忘れそうになる。それがたとえ一時的にであっても、漫画を茂樹が忘れるとか二の次にして良いとかそんな気持ちになったことはこれまでにもなかったことなのだ。
 濃く赤く伸縮するタイツは彼女の女性の性的特徴をこれ以上はないほど際立たせ、腰からスニーカーに消える縫い込みの二本の白い線は彼女の曲線を強調するためにだけあるようだった。だいたいほかの女生徒が余りにも差をつけられて可哀想にさえ見えるのだった。顔だけでなく肢体にも彼女は恵まれていた。動作に従い更に濃い影が胸元や下腹部にあらわれ官能的な魅力を彼女の意思に無関係に惜しみなく周囲に玲子は振りまいていた。
 茂樹の近くにいる他の男子生徒たちも濃く赤い薔薇の花のように固まっている同じ方向に目を彷徨わせている状態であった。彼ら複数の男子生徒が好奇心も旺盛に視線を送っているのに気がつくと、再び茂樹は、自分には無縁であるべき存在ということを思って目を逸らした。自分には関係ないと考え気持ちを持ち直すのであった。ただそんな時の玲子の表情は、見られていることをしっているからなのか、いつも拒否的で冷たいとさえ思えるものだった。それが茂樹には少し救いにも感じられるのだった。どの男子にもああいう拒否をしてもらいたいと願うのだった。
 やがて痩せぎすで両頬に深い皺が顎まで刻まれている体育の教師が来ると、男子生徒は徒手体操をさせられた。数分間退屈そうに体を折ったり捻ったりしていた。するといきなり男子生徒たちの目の前に、こくのある暗赤色を身に纏った女の子たちが次々に走りでたのであった。彼女たちはトラックを小鹿たちのように軽やかに走らされていたのだった。
 見ないようにしている茂樹には大変迷惑なことであった。
 まだ成長の途上にあるはずなのに、玲子だけはすでに素晴らしい女性的な特徴に恵まれているのを見せつけられなければならなかった。他の女の子たちがただ成長し、伸びただけというのに引き換え、玲子の姿態は形良いだけでなく魅力的であり、どうしても目が離せない。走り方も、気のせいか、女性的な肉体的美点が彼女自身にとっては邪魔で走りづらいかのような走り方であった。あんな走り方をさせてしまったら、今の素晴らしいプロポーションを崩し、台無しにしてしまうのではと危ぶまれるほど、もう女性としては成熟に限りなく近いものに見えた。
 授業が終わりに近づき、落ち着いてきて、女生徒群に目をやると玲子ばかりではなく、おとなっぽい体つき肉付きの女の子は幾らでもいることに気がついた。ただ、玲子が信じられないような魅力に溢れていただけであった。茂樹には「蠱惑的」とか「凄艶な」という谷崎潤一郎が良く使う言葉が自然と頭に浮かんでくるのを妨げることもできなかった。自分が高校生だから彼女を見てしまってこのように感じてしまうのだろうと思い、大人たちが見たらそのようには映じないのかも知れないと思ったが、自分自身そのようには思わなかった。あんなに玲子の魅力を官能的に露出してしまうような体育着は着せてはいけないとさえ思った。


 通学時に電信柱や木造の塀などに貼られた映画の広告が、急に彼の瞼の裏に染み出てきた。たいていは成人用の猥褻映画の広告で、中年のいやらしい男がにやけた顔で上半身裸の女性の乳房を後ろから鷲摑みにしているシーンなどであった。おっさんたちは大体不潔な体臭を漂わせるようなタイプで、頭頂部までおでこは禿げ上がり、太鼓っぱらを抱えていて破廉恥に目を細めていた。しかもだらしないステテコ姿か襤褸のような浴衣姿であった。
 茂樹は彼女がそういう汚らわしい中年のおっさんたちの注目の的、餌食になってしまうのではないかと不安な気持ちに囚われるのであった。
 そしてあらためて玲子をみつめているのは自分だけではないだろうと、クラスメートをみまわした。そして自分の勘に間違いないことを確認しなければならないのであった。彼女の、時に凄艶な魅力を湛える容貌と、蠱惑的な姿態はもう同じ地域を故郷にする女生徒とは思えなかった。この田舎に間違って生れ落ちたか、少しはヨーロッパ人の遺伝子を体のなかにもっているのではないかと想像したほどであった。まだ少女にしか過ぎないのに、もう男どもを膝まづかせ悩殺し得るような魅力を容姿から醸し出しているのだった。             
 到底自分に縁のある女の子ではなかった。また、縁があったとしてもどうして良いのか彼にはまったくわからなかった。なにもその先を想像できなかった。玲子の女の子としての、理想以上にどこか挑発的な姿態と容貌はそういう意味では単なる自分の目的を破壊する雑念にしか過ぎないもの、掻き消さなければならない妖艶な夢のようなものであった。