蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

エッ?

入院中にベトナム出身の若い研修生や看護婦をみた。話をした娘もいる。どの娘もチャーミングだった。外観で採用されたのかと思えるほどでもあった。
 身長が155ほどの小さな男性もいた。わたしが日本人だということを彼は確認したあとで、自分の出身がどこなのかと訊ねた、どこか曰くありげな、絶対にわからないだろうとでも言うような悪戯っぽい目つきで一緒にきたドイツ人の看護士に目配せをした。わたしは、日本人みたいな顔してると正直言った。すると笑いながらラオスからきたという。
 彼はなにかとわたしに話しかけるようになり、子供が15歳の息子と11歳ほどの女の子がいることを話し、息子の写真も見せてくれた。
 近いうちに、今年中にラオスに帰り、これまでドイツで稼いだ金で家を経て、20歳年下の女性と現地で結婚するつもりだというのである。わたしが疑問に思うと、それを察して、今つきあっている女とは同棲しているだけで結婚はしたないからというのであった。同じアジア人らしいが、二児の母であるはずだ。この彼の姿勢にわたしは驚かされたが、なにも言葉には出せなかった。
 あの国ではそんなことがモラルのうえでも許されるのだろうかという漠然とした疑問が湧いた。
 退院するときに無言でかれは手を振ってくれた。他にもレハで指導してくれた、ぼさぼさの白髪交じりの金髪の痩せぎすの中年女性も車椅子の私に屈みこんで、一度にすべてをやろうとしないでねと言ってくれた。わたしの性格を理解しているようだった。
これまで、すべてのこれまでのこと、有難うと言って分かれた。