蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

中高年の看護婦


概して、中高年の看護婦たちは慣れているせいなのか、悪なれなのか私たち患者に対しての態度は乱暴、雑な感じだった。研修生のほうが実際に仕事らしいことは食事をはこぶぐらいしか任されてなかったからなのかもしれないが、優しかった。
患者と口論するドイツ人の太った初老の看護婦もいて、あるときなどは、主張でもするような侘びを患者にいれていた。だが、ちっとも謝罪と言う感じではない響きなのであった。わたしも低い危険な口調でなにかこの看護婦に言われたことがあったが、見に覚えのない勘繰りだったので痛くもなかった。そのときだけ我慢すればすむことだったし。
それはトルコ人の中高年のまさにこの仕事に慣れているという感じの看護婦の態度も同じだった。上司から病院側からみれば、仕事のできるという評価に繋がるのだろうけれども、口調も態度も私たちに対してはちょっと乱暴だった。
私の体を洗ってくれようとしたが、あんまり扱いが乱暴だったので、自分でやりますと言ってわたしは断ったぐらいだった。あっというまになぜか、そのおばさんの指が臀部の間を通りしりの穴を擦り、睾丸に指先が達しそうな素早い動きもあった。なんか不必要なのにさらた気がした。一種のセクハラをされた気さえしたものだった。