蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

夢か妄想だった

悪夢というか、妄想はまだ続くが、病室に毎晩、朝まで病人監視のために学生みたいな漢語の研修生のような若者がやってきていた。隅に座ってまま、たまに尿瓶をあけたり、布団をかけなおしてあげたりするものもいたが、座ったきり読書用の明かりをつけてコラ-ンを読みふけっているものもいた。また例外的に会話を私と楽しむ若者も居て、病院の食事はどうもいただけないので、ちかくにあるアラブの立ち食い屋台に行って、そこで羊の肉が主体の料理を食べてきたりするといっていたり、イエメンからきたと話していた。そこでイエメン出身のユダヤ人女流歌手のオフラ・ハザの話をすると、まったく知らないという。それでもいろいろなことに関心をもつ小柄で顔が逆三角形の浅黒い肌の若者で、早速スマホで検索して、わたしが感激した彼女の曲を見つけ出して流してくれた。
 だが、かれは一度しかこなかった。毎晩かわるがわる違う監視人が来て、一晩を哲也で座っていた。性格も患者に対する態度もみんな違った。殆どの時間をかれらはコラーンの読書に注いでいたようだったが。
 だが、あれもすべて夢だったらしい。誰も夜中に部屋の隅に座って徹夜するような監視人はいなかったし、つけるような無駄なことはしてなかった。フロアー全体のために夜勤の看護士jはふたりほどいるようだったが。