蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

D市の二人の看護婦

ダビッドの住居から外出し、わたしはちゃんと立って歩いていたが、二人がでてきた教会に行くと、よくみるとそれはカトリック教会であり、その一部をユダヤ教会、シナゴーグとしても使わせてもらっているということらしかった。
 教会の観光をさせてもらえるかと期待して、入り口で訊ねてみると、すぐに奥に案内され、地下室に連れて行かれた。途中ポーランドからリュックサックを背負ってやってきたユダヤ人の男性は男用の部屋に案内されてそこで宿泊できるようだったが、わたしは地下の白髪の髪が生えている襤褸を身にまとった白骨死体、どうも聖人らしいミイラのすぐとなりに薄いベットを用意してくれてそこに寝ることになった。問題は、その半日前に、男の添乗員によってホウレン草とミルクのミックスした飲み物を渡されそれを飲んでいて、ベットに横になったあと数時間もすると下痢を起こし始めていた。それは制止不可能な下痢だった。下痢と言うのは常にそうだが、わたしの体はもとの体力に戻ってしまっていて、背中をしたにしてあとは身動きもならない状態になってしまっている。それでズボンにやってしまった。
 夜が明けて二人の、太った金髪の女性とポーランド出身だという同じく金髪の眺めの顔の女性が看護婦としてあらわれ、ほとんど文句もいわずに私を汚れたズボンや下着から解放してくれふき取ってくれ、しかも新しい下着とズボンに着替えさせてくれた。
 翌日になり、不思議なことにわたしはB街の病院に横になっていた。するとその二人もその病院になんでもないようにあらわれ看護婦の仕事をしているのであった。ポーランド系の看護婦は、働かないとやっていけないからと言い訳のように言っていた。この話はずいぶん無理なのではとわたしはこの偶然性にも驚かされたが、わたしがお礼をいつかしたいというと、この近くの中華のバイキングが良いといい、その名前も言った。そしてそういうことを言うだけで実際には約束をいい加減にする人がいるからと笑ってわたしに言った。夢のなかでそこまで現実的な店の名が出たり、性格が出たりするだろうかと思う。
 そしてわたしがのちに連絡するために電話番号をたずねると、「電話番号なんて、それはあげられない」とセクハラでもうけたように藁って拒否してきた。だから、そのあとも連絡はとれない。
 そして考えれば考えるほど、実際にこの二人の看護婦は存在したのだろうかと思い、実際にわたしはD市に行ったのだろうかと疑問に思った。