蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

亀の歩行

 今朝まで全く眠れず、しまいには午前四時頃には腹もすいてくるという始末。暗闇では眠りたいので、バラストが多いオートミールをミルクを注いで食べた。鶏肉の生ハムも齧った。
 だが、1,2時間後には、胃液と混じったミルクだろうか、臓腑から喉元までこみあがってきて、おまきえに花粉症なので咳が細かくでた。その咳をした表紙に喉元まで込み上げてくる悪意の籠もった濃く強い液体がはかれてしまうような恐れがあった。布団を嘔吐物、吐瀉物でもちろん汚したくはなかった。だが、体が思いし、みぞおちあたりが膨張し、つっぱっていてとても不愉快。肘をせいぜいついてさきほどのおーろミールが小腸のほうに流れていくのをいのるしかなかった。
 そして次に起床した時刻が正午ちかくだった。一応8時間は眠れたことになる。
 散歩を先にするべきか、昨日のってきた感じのG合戦の続きを書くためにアソスのスイッチをいれようか、そしてネットでオンラインで書こうか、と判断がつきかねた。書ければいいんだという気持ちに最近はなっている。そのためにはオンラインでだっていいんだ、それが自分の創作への励み、促しになればそれでいいんだと思った。もちろん、もう〆切には間に合わないだろう。でも、草稿だけでも書いておきたい。書きあげたいと思っている。
 そうこうするうちに、窓の防虫網の状態をみたり、緑茶をあっため返してのんだりしていると、もう二時間近く経過してしまった。午後二時だ。なんということだと思った。
 それで、なにも食物らしいものは胃腸に送り込んではいないが、外出した。とにかく一日一度は散歩にでる、と決めているので。
 往復たぶん1,5kmは歩いたと思う。今日はロスマンに入った。そこで、コレットが目をいた。値段も5ユーロ程度だった。作家にはとくにフランスの作家には関心があるので、すぐに買い物かごのなかに放り込んだ。
 そして帰宅なのだが、なんだろう、どこが悪いのだろう。膵臓機能不全であることは医者に診断されてしまっている。それがもう13年ぐらい前のことだ。でも、歩くのに難儀には思わなかった。だが、65歳も半ばを過ぎてから、引っ越しの準備のために段ボール箱に本を詰めたり、重ねたりするだけでとても疲労を覚えてしまっていて、私自身、とても驚かされている。これはパンデミックのせいで運動不足になっているのに違いないぐらいに思っていた。だが、こちらに引っ越しを余儀なくされてからは、ほぼ毎日1,5kmほどだが歩いている。それでも、もう3か月は経過しているのに、あまり体調は変わらない。帰途の
の際にはなくなった年の妻のように極度にゆっくりにしかあるけない、という自分を発見しておどろく。


 たぶん、なにも食べてないのでエネルギーが切れているのだろうと推定し、それで最近はいつもポケットに忍ばせているブドウ糖の固形物を3,4個ほどほうばってみる。でも、原因はどこか別なところにあるらしく、容体は変わらない。
 とにかく、帰宅を目指して、ベットにy鉾になることだけを目標として歩いた。もしかして、私もいよいよ最後を迎えようとしているのだろうかと思ったりする。医者にもいってないから、癌になっていて、それがすでに手遅れで体中に転移しえいても、わたしの知るところではない。でも、まだ死ねないと思う。自分のこと、私小説的になるが、そして妻との出会い、死、などなどほとんど書きあげられてない。そんな無念な状態で死ねるかと思う。
 日本では定期健診というのがやってもらえて長寿を全うすることもできようが、こちらでは、自分から積極的に高い金を払って申し込まないとそれもかなわない。
 愚痴ってもしょうがないので、健康なものを食べて、長寿を創作のために心がけたい。


 コレットだけは胴体が自分のものに感じられない、異物感そのものであったが、それでもDVDで視聴した。彼女の作品はおそらくほとんどの日本人の文学好きでもそうであるように、わたしも一作しか読んでない。また、こちらでは手にもはいらない。


 ということで、今日は、買っておいた阿保が度一個にカレー味のケチャップをつけて食べただけであとはなにも食べてない。アボガド、のこと。苦笑。


 数日前には、健康に良いとYTユーチューブの『試してガッテン』でみて、お酢につけてキュウリをしょうゆ味でたべた。それだけを食べたのが原因だったのだろう、胃にひどい痛みを覚えて胃薬を舐めたが、まだいが弱っていたのだとも思う。
 健康に留意しながら、臓腑を痛めつけるようなことをわたしはやっているみたいだ。