蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

G.合戦 不思議な指名

一九九〇年二月のお天気の良い朝だった。清明はホテル警備の夜の仕事から帰宅し、ベットに横になり寝ようとしていた。だが、こんな陽光が引いたカーテンの間からも漏れ射し、ブレーキを細かく踏んで路肩から車道にでようとする音やこれから仕事にでるための自家用車の走行する音、そして窓のすぐ下の歩道をかかとを立てて歩く中年女性の話し声や、早くも罵り声を放つ運転手や自転車のペダルを踏むものの大声などが放たれる。人声がやむと住宅街の中庭のコンテナーと植え込みから小鳥の声が喧しく聞こえてくる。
 心休まる睡眠に落ちていくという雰囲気ではなかった。特にお天気が良い朝には、人々も、散歩に連れられる犬から小鳥から一際神経に障るほど賑やかな感じだった。
 そこに電話が喧しく鳴り出した。妻はもう仕事にでかけているし、息子のほうは仕事もしてないのになぜ眠れるのか、まず電話ぐらいでおこされるような者ではなかった。
 やむなくベットから跳ね起きて白い受話器を清明が耳にあてると、きいたこともない濁声の初老の婦人の声が彼の聴覚を逆撫でした。
 「誰なの」

 清晃は電話にでるときには、いたずら電話とかもあるので、必ず「ヤァ、ビッテ?(はい、どうぞ)」という第一声を放つ。決して「はい、」結城ですが」とかは言わない、自分を明かさないようにしている。もちろん、働き先とか事務所にいて受話器を取るときにはその職場の名前をちゃんと言う。だが、悪人だっている世の中、簡単には自分のことを明かさないようにしている。
 それでさらにその不快な声の婦人は不快な質問をしてきたというところなのだろう。でも、自分で清晃に連絡が取りたくて電話したのなら、「結城さんですか」というような質問をしてきてもおいかしくはないと思う。
 清晃が自分の名前をいようかいうまいかと迷っていると今度は「キョーアキ・ユーキというのはあんたじゃないの? とおっ被せてきた。
 そこで初めて清晃も安心して答え始めたが、さらに驚きが続いた」
 「あんたに、四季から観光の指名が入ってるのよ、えっと、……」
 そして翌月の何日間か時間が空いているかと清晃に訊ねるのであった。
 筬田には、最初のガイド経験をさせてもらったあとで、次はいつガイドの仕事がくるのか婉曲にたずねてみて、わからないと言われてしまい。だいたい仕事の量も少ないし、ダブる様なことがあればその時には依頼したいが、まだほとんど入ってないという話だったのだ。そこにこの自分への指名である。どこから来たのか、どうして自分に指名なんてことが起こるのかまったく清晃には理解ができなかった。
 とにかく、まだ時間的な余裕があるし、練習して暗唱するか、あるいはメモって準備すればいいやと彼もちょっと厚顔になれていて、収入のためにも、そしてこのまま警備員とかやっていても埒が明かないので承諾した。また、二時間という短い時間だが、今度は東側のアール・シュタットに観光に行くというのであった。彼女はレーツェルシュタットという正式な長い言い方はせずにこの町のイニシャルをとってR・シュタットと縮小して使っていた。まだ東側の観光をしたことがないと清晃は言い訳がましく引いたが、ブックスバオム婦人は
 「問題ないわ、向こうだってあんたには向こうのガイドはやらせないわよ」
 とさらにわけのわからないことを言うのであった。
 「でも、」それでは……(自分は なんのために一緒に東側に行くのでしょうか)」
 と訊ねたかったのだが、それを前もってしっていたように彼女はこういった。
 「あんたが、朝早くあっちのホテルに九時までに行くのよ。そして向こうから日本語できるガイドが乗ってくるはずよ。もしできなければあんたが英語かドイツ語でされるガイディングを日本語に訳して説明すれば良いだけのことよ、なにをびくびくしてんのよ!」
 仕事ができる人なのでこういう乱暴な言い方をこの婦人はするのか、あるいはもともと雑な性格なだけなのか、話を聞いているうちに清晃はどこか得でも自分がするような気がしてきて嬉しさを感じた。これは自分が東側を学ぶのに良い機会でもあると思えたからだった。
 「もし、日本語を向こうのガイドが喋るようだったらね、どのくらいの語学力があるのか連絡するのよ。分かった?
 清晃はなるほどと思った。日本語を話されてしまうと自分が余計な者に感じられてしまうが、語学の監督官をするのだったら、そこに何もせずにいる大義名分がたつものだと思った。