蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

去年から規則的に執筆と応募をスタート

パンデミックが仕事におおいに悪影響を齎し、最初は株とかに手をだして大失敗をおかしてしまい、それから、そもそも株に手を出したのも、老後をなんとかしなくちゃと思ってそのために貯金をし、余裕をと考えて、逆にすべてを失ってしまったという結果だったのだが、日本をたつときの私の胸のなかには、文学賞をとるような作品を書きたい、というそんな気持ちだけがあった。そして、契約を破り罰金を払ってドイツにきた職場を離れ、放浪し、ドイツ女性と知り合い、恋をし、結婚をし、そしてナイン・イレブン、パンデミックと続いて今日になる。
 一人になり、孤独感にぎゅうぎゅう締め上げられている今日、全財産もすべて失い、家賃も危ない現在、やっと日本を出てきた頃の自分を思い出し、2021年から応募をしようと決意し、執筆を始めた。まさに締め切りにわたしは救われて、本当に書くようになった。実は2020年から、故郷の、といってもごく幼い頃を過ごした、ある県の文学賞に応募してみたいというところからはじまり、なんと一年間みおくることになってしまい、去年やっと50枚の作品を書いて送ったのだが、まず、自分には、文学作品を書くという姿勢がまったくないということが最初の障壁として眼前に屹立していることを知った。日記は書いていても、小説、文学作品は19歳ごろに書こうとしたぐらいで、あれから数十年間も書いてないのである。まずその態度、創作態度といえるものを身につけなければならないと思い当たり、まだ、スタート地点にも立ってない自分に気がつき呆然としたものだった。
 だから一年間ぐらいはもんもんとした時間が経ってしまっても当たり前かもしれなかった。
 そのある県が主催している作品はやはり駄目だったにちがいなく、なんの音沙汰もない。受賞でもしていればメールに通知がくるだろうから。
 でも、わたしにとっては書きたいことが文学作品として纏め上げることができたという完成できた喜び、それがあった。この喜びがあるので、これからも書きたいと思った。受賞できれば、もちろん、嬉しいし、経済的な豊かさと未来の保障に繋がるのだが、まず書きなれたない私には、執筆すること、書くこと、これが大事だと思った。