蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

計画倒れ。エンタメ300枚以上を執筆したかった。

純文学作品だけでは食べていけない、ということは紛れもない事実。浅田哲也だって、三島でさえも両方、書いてます。
だったらそういう気分、生真面目に純文学だけをという気持ち出ない明るく軽薄なときに大衆文学を書きたいと思ったときには、最初から書けばいいと思うように数年前からおもっていた。でも、原稿用紙の枠が大きい。300枚から500枚までとか、そんなに長いものを想定して書いたことはこれまで一度もない。でも、どうせならと思い書き始めてみたが、大衆文学でも、馬鹿にしてはいけないが、といいながら馬鹿にしてしまっているが、やはりスランプも停滞とか行き詰まりはあり、全然進まない日々が数日間も続く。
 
 大衆文学の賞があることに気がついたときには、あと6週間ぐらいしか期日もない、時間もないという状態だった。それでも、純文学の田中栄光が一日45枚書ける日もあるといい、吉川英治や松本清張も凄い量を毎日こなしてこれてるので、自分だってこれから数詞勇敢書けないこともあるまいと思えた。かれらはコンスタントに凄まじい量産をしている。綿足は一時的にやるだけだ、だからできると思ったのだが、まず100枚前後しか書いて纏め上げたことがこれまでもなかった。そしてもう10日間もなくなってしまい、まだ自分のエンt目は冒頭の二三の章も完成してない状態。今回は応募でさえも諦めるかと思っている。
 応募するだけでも、作品を纏め上げるだけでも大変な、自分にとっての意義はあると思い込んでいる今日この頃なので・・・・・・苦笑と嘆き、そして自己満足の人の良い、あほ同然の幸福者・・・・のわたし