蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

公日記の百倍以上を個人、わたし日記ではかいていて

 こちらに日記を書き込むのはもう遥か昔の思い出に近く、久しぶりだ。でも、自分のための日記は、地名も人物も本名ですべてはいっている正真正銘の日記はほぼ毎日かいてます。
 誰に読まれることも今のところ期待も考えもしてない日記をながながと書いてます。それも膨大な量になっていて、最近ではもし私が死ぬことになったら、私の死と一緒にその指摘な日記も忘却されていくのだなと、ちょっと惜しい気がしてきてます。姪にメールでおくってみようかとも考えたりしてます。でも、それは死の直前でなければとも思います。でも、瀕死の状態になっていたら送ることもおそらくわたしには出来ないことではないかとも思えます。
 じゃ、どうするか。やっぱり最初からこちらの公の日記に書いて発表しておいたほうがよほど理にかなっているような木にもなります。もちろん、その場合には実名はすべて伏せて書くということになりますが。ふむふむ、決定出来ない感じですね。そもそも昔から優柔不断でしたから、とるにたりない呟きを書き込んでしまいました。が、でも、それも日記のあるタイプだと思うので、まっ、いいかとも思ってます。