蝦夷リス

近道への遠回り・数十年前作家になることを考え、特殊な語れる体験がなければと思い日本を後にしました。文壇のなかでのコネなどなかったからです。二十代までは必ずこの癒着がものをいうと信じてきてました。

芥川賞の発表が。宇佐美りんさんの推す、燃ゆ。21年1月20日

彼女が21歳で、しかも二作目で芥川賞受賞という事実に驚きでした。ところが処女作のかかで文芸賞、そして三島由紀夫賞受賞と知りさらに腰が抜けそうになったものです。


文芸評論家の豊崎女史の語りでは、文章がとても上手いということで、どんな文を書くのだろうとと思いました。すぐに本屋に行って立ち読みして自分の目で見るというわけにはいかないので、悔しい思いなのですが、アマゾンの本の売買でもしかしたら試し読みができるかもと思い検索してみましたが残念でした。出来ませんでした。ところが河出書房の欄で試し読みできるという欄を発見し、探しえました。一応コピーしあとで読もうと思いました。それというのも彼女が尊敬しているという中上健次の古本が二冊ありひとつは処女短編集でもうひとつは紀州というルポルタージュ。前者をもう一度手にとって読もうと昨日は頑張ってみたのでした。
 これで二回目の挑戦でした。最初に手にしたときには退屈を感じて読み進むことができなくかったのです。ところが今のわたしは創作ということを念頭においているせいか、頭にどんどん入ってきてくれて、読みきれました。村上龍なども中上健次を確か尊敬していたような話をどこかで読んだことがありましたが、もっと時間を割いて落ち着いて他の短編も読んでみようと思います。
 大昔、今から40年以上前に中上健次の岬を手にとって通読したこともあったのでしたが、まったく乗れなかった、感情移入できなくて、さっぱり分からないものが芥川賞をとるんだという印象が残っただけでしたが。わたしとはまったく肌のあわない資質の作家、と自分をおこがましくても比べておりますが。苦笑。
 ところで村上龍の限りなくには感嘆したものでした。同じく四十年前に。そして今も良いという気持ちは同じです。ということでそういう作家たちも私にもいるということが分かります。